『ぶつぶつ』 日中は春めいてきたとはいえ、まだまだ夜は冷える。 薄暗い蛍光灯しかない夜間通用口から外へ出ると、ぴう、と冷たい風が頬をなでていった。 海の方向から吹いてくる、冷たい北風。 朝、少し暖かかったからって春用のコートを着てきたのは失敗だったかもしれない。 コートに合わせて、パンプスなんて履いてしまったのも間違ってた。 やっぱりまだまだロングブーツが必要だ。 「寒いね」 一緒に通用口から出てきた相手に声をかける。 今まで一緒に残業していた同僚、同期の笹倉。 「それは吉岡サンがそんな薄っぺらい服しか着てこんけんやろ」 「・・・朝、暖かかったやん」 口をとがらせてしまう。 同期で、同い年。しかも同じ課のコイツとは何故かウマが合ってたまに 一緒に飲みに行ったりする仲だ。 いいヤツだと思う。 ただ一つの欠点を除けば。 残業していて向かい合わせになっているPCの向こうで 「あー、腹減ったなあ。なあ、吉岡サン。腹減ったと思わん?吉牛食べて帰らん?なあ」 なんてつぶやく「ムードがない」っていう欠点を除けば。 確かに最低限必要なだけに落とした灯りのもと、もくもくとPCを打って残業している中で、 ムードもへったくれもないんだけど、仮にも女を誘う文句が「腹減った」って何事? ・・・確かに吉牛は美味しいけど。 あまりのおなかの減り具合に「奢ってくれるなら」ってOKした私も私だけど。 ほう、と息を吐いてみる。 寒いけど、もう息は白くない。 息を吐くときに見上げた空には、星がたくさん瞬いていた。 昨日まで雨が降っていたのと、今日吹いているこの強い北風のせいだろう。 「ねえ、見て見て。すごい星がきれい」 「あ?」 私の言葉に、笹倉も両手をポケットに突っ込んだまま、空を見上げる。 風が、笹倉の前髪を揺らしていった。 「あー、ホントやな」 「やろ?」 嬉しくなって、思わず高い声を出してしまった。 なーんだ、ちゃんと理解してくれるやん。 でも、そんな私の気持ちも数瞬後、もろくも崩れ去った。 「ぶつぶつしちょんな」 「・・・はぁ?」 なんですか、そのオレンジジュースみたいなのは。 いや、あれは「つぶつぶ」だったか。 「いや、ほら。俺、本州のすっげ田舎の大学行っちょったやん?街の半分が老人ですーみたいな。 しかも半島で風が強いわ海も近いわで、よっく星が見えたんよな」 口をぽかん、とあけてしまった私に気付いているのか、笹倉はさらに続ける。 「で、バイトの帰りとかに空を見上げたら、こことは比べ物にならんくらいのすげぇ星で。 『あー、すごいなあ、ぶつぶつしちょんなあ』って」 「・・・えっと、あのー、黒い布にスパンコールがいっぱいついてるって感じ?」 「そうそうそう!それそれ!なーん、もう。やっぱ吉岡サンやなあ。 言いたいことわかってくれて嬉しいわ」 ああ、やっぱりだめだ。 コイツにムードなんて求めたのが間違いだった。 どうせ私と笹倉の関係は吉牛とぶつぶつオレンジ、もといつぶつぶオレンジが似合いなんだ。 ちっとも色っぽい雰囲気にならない関係。 多分、きっとずっとこのまま。 「・・・吉牛食べにいこっか?」 ため息混じりに言ってしまったけれど、ヤツはちっともそれに気がつかないらしい。 「おう」 嬉しそうにまなじりを下げて、私の後ろをいそいそとついてくる。 やっぱ大盛りだよな〜なんて、自作の鼻歌まで聞えてくる。 結局、今日も進展ナシ。 ちえっ、と内心舌打ちしたときだった。 「でな、吉岡サン。今度そのぶつぶつを一緒に見にいかん?」 「え?」 「今度の連休、あいてる?」 「・・・一応」 突然のことに口篭もってしまう。 もごもごと言葉を舌の上で転がす私を見て、笹倉がぶぶっと吹き出した。 「まあ、別に本州まで行こうとかは言わんよ。春になって空気が白くにごるまでに どっか久住とかでも二人でぶつぶつ、見てみらん?」 「・・・・・・・・うん」 困ってしまう。 嬉しいのに、似合わないことをされると困ってしまう。 笹倉のコートのすそが風に吹かれてひらひらと舞った。 「黄砂が来る前にね」 「うん、黄砂が来る前に」 黄砂なあ、あれは好かんなあ。頭がぼーっとしてくる。 そんなことを言いながら、笹倉はすたすたと信号を渡って行く。 私は、黄砂じゃなくて突然の「ぶつぶつ」にボーッとしている。 ムードなんて作れないやつだと思ってた。 事実、言ってる言葉は「ぶつぶつ」だ。 だけど胸がじわんってしてくる。奥のほうが、ほんのり熱を持つ。 「吉岡サーン?信号変わるで?轢かれるで?ぐちゃぐちゃになるで?」 また色気のないことを言う。 「はいはい。ミンチにはなりたくないです」 言い返しながら、笹倉の背中を追いかけた。 吉牛は、横断歩道のすぐ先。オレンジ色の灯りが見える。 黄砂がやってくるのは、もうすぐ。 一緒に満天の 、「ぶつぶつ」した星を見られるのも、そんなに遠くないだろう。 |
吉牛食べたくなってきた。イカン、こんな時間なのに。 「ぶつぶつオレンジ」の面白さは「サディスティック19」というマンガを 読んでた方ならわかってくれるんじゃないかと。 ちなみに、私は吉牛全然OKです。おごりならどこまでもついていきます(笑) >>Novels top |