『飛行機雲』 「俊史っ。早く早く!」 土曜日の放課後、午後12時30分。 制度上は完全週休二日になったはずなのに「大学進学のため」という 大義名分のせいで、土曜日も午前中みっちりと積み込まれた補習授業を終えて、 ようやく一息ついたとき。 さて帰るか、とカバンの中に荷物を詰めていると、隣のクラスのエリカが 息を切らせて僕の名前を呼んだ。 肩まで伸ばした髪は、きれいな茶色。 唇はぴかりと光ってまつ毛も濡れたように黒い。 グロスか?マスカラか? 「女子生徒の化粧禁止」っていう校則なんてクソくらえってか? 「なんだよー。俺はもう帰るぞ。数学の問題なら自分で解け」 汗でずり落ちそうになったメガネを指で押し上げる。 バカモノ、と最後につけようとしたけれど、さすがにそれは後が怖いからやめておいた。 エリカとは、去年同じクラスだった。 どういう理由でかはわからないが、僕の周りをちょろちょろとうろつき 「勉強教えて」と言ってくる。 定期テストのたびに張り出される順位表の上位にいつも僕の名前があるからだろう。 別に俺じゃなくてもいいだろう、と冷たくあしらうと、雨に濡れている犬のような 目をして「俊史じゃなきゃヤダ」と、唇を尖らせる。 そういう目をされると、ダメだった。 いかにも、な女子高生なんてタイプじゃないのに。 弱い、と思いつつ、ずるずると彼女と一緒にいる時間が長くなる。 弱いといえば、現に今だって。 教室にずんずんと入り込んで、他人の目をものともせず僕の腕をつかみ、 「お騒がせしましたぁ」 とあっけにとられた様子のクラスメートたちにカワイく微笑むエリカに何も口答えできない。 そして、そのまま腕をひっぱられる形で、教室を出る。 「なんだよ。痛ぇよ」 「もー、そんなゴタクはいいからっ。ほら行くよっ」 エリカはまたも有無を言わさず、僕の腕を引っ張ると、廊下を走りだした。 2年生の教室は、2階。 ずらりと並ぶ教室の前を走り、トイレの前も抜け、階段を駆け上る。 補習授業が終わり、帰ろうとしている生徒と何人もすれ違った。 一体何事かと驚いたように目を向けられる。 どうもすみませんねえ。 僕は内心そうつぶやきながら、エリカに手をひっぱられる。 階段を上るたびに、空がぐんぐん近くなってくる。 ほんの少しだけど高台にあるこの学校はもともと眺めがいいのだけれど。 さらにさらに。 夏の濃い蒼の空が、どんどん近づいてくる。 開け放たれた窓から風がふわりと入ってきて。 あかるい栗色に染められたエリカの髪がそれに合わせて、さらりと揺れた。 4階まで一気に駆け上がり、北校舎へと続く渡り廊下へと出る。 ぶわ、と夏の熱気が襲ってきた。 「なん・・・」 なんなんだよ、と言おうとするのを遮って、エリカが僕の袖を引っ張った。 「ねえ、ホラ!みてみて!」 走ったことで、また下がってきたメガネを人差し指で押しあげて、エリカの指差す方向を見上げる。 そこには。 青い蒼い雲ひとつない夏の空に、2本の飛行機雲が真っ直ぐ伸びていた。 東と南の方向に、伸びていく、2本の飛行機雲。 先頭にキラリと光る機体が小さく見える。 「・・・すげ」 あまりにもくっきりとした飛行機雲は、まるでそれ自体が意思を持っているかのように 僕の視界なんて、狭いもんだとばかりにぐんぐんと伸びていく。 「・・・でしょう?」 ちょっと自慢しちゃったりして、と エリカは胸をそらせた。 「これをね、見せたいと思ったんだ」 エリカの手は、まだ僕の袖をつかんだまま。 「僕に?」 「うん」 こくり、と頷く。 またエリカの栗色の髪がさらりと揺れて、ほのかにシャンプーの香りが漂った。 「授業中外見てたらさ、ぐーんって飛行機雲が伸びてきてね。 それも1本じゃないの。2本だよ?すごくない?」 飛行機雲を発見したときの興奮が蘇ってきたのか、自然と声のトーンが上がり 僕の袖をさらに引っ張る。 エリカの笑顔がまぶしくて、思わず心にもないことを口にしてしまった。 「・・・授業真面目にきいとけよ」 「もーう、全然ロマンないだからっ。これだから優等生はぁ」 僕の嫌味にも取れる言葉を全然気にせず、エリカはきゃははと笑い、さらにべしべしと ひとしきり僕の背中を叩いたあと、まるで何かの儀式かのように、すう、と大きく息を吸い込んだ。 ずっと大切に隠し持っていた宝物を見せるときのように。 「あのね」 まるで内緒話を打ち明けるかのような口調。 「え?」 思わず聞き返してしまった僕に、エリカはふふっと笑い、そして。 「俊史に一番に見せたいって思った。誰よりも、俊史に」 と、言った。 急に真面目な顔をしたエリカを目の前にして、僕は何も答えることができず、ただ黙って伸びていく飛行機雲を見上げていた。 きれいなものを。 いちばんにみせたいとおもうのは。 きみなんだよ。 エリカの想いが、袖越しに伝わってくる。 気がつけば。 僕の袖をつかんだ手をはずし、そのままその手を自分の手でつつんでいた。 袖越しではなく、直に伝わってくるエリカの温度と気持ち。 あの飛行機雲みたいに、どこまでも、まっすぐに。 「・・・あたしに惚れたな?」 指先をからめながら、エリカが僕の顔をのぞきこんできた。 「ばっ」 バカなこと言うなよ、と言いかけて------でもそれが事実だということに気が付いて------ 僕はただ顔を赤らめることしか、できない。 ああ、そうだよ。 そうやってイタズラっ子みたいな表情を浮かべてるエリカが、かわいいなんて思ってるって、 悔しいけど、多分そういうことだろ? 「ねえねえ、これからどこいこっか」 飛行機雲を眺めながら、でも空が少しまぶしいのか、手を額にかざしながらエリカが言った。 「そーだなぁ」 「カキ氷食べに行く?ソフトクリームとか」 「とりあえず、図書館で今日の課題をすます」 「ええー?何それー。気持ちが通じ合ったんだよ?もっと夏っぽいデートっぽいことしようよ」 ぶうたれるエリカを引っ張るようにして、僕は階段を降り始めた。 もちろん、手はつないだまま。 わかってるってば。 カキ氷もソフトクリームも、課題が終わったらイヤってほどつきあってやる。 今年の夏も、それから。 来年の夏も、ずっと。 |
元ネタは、というか、9割方ゴールデンウイーク前に書き上げてたのに なかなか着地点が見付からず、往生した作品(^^; このままボツるのかなぁ〜と思いつつ、数ヶ月ほったらかしてたんですが。 日の目を見れて良かった良かった。あんま面白くないけど(核爆) キーワードは「飛行機雲」「優等生と(なんちゃって)コギャル」ってな感じでしょーか。 元気な女の子に振り回される優等生・・・を書きたかったはずなのに、アレ?? 私の実力なんてこんなもんさ。アハハハハ(汗) ちなみに、これを書いてたときのBGMはエンヤ。なんでだ(笑) >>Novels top |