『Collector』 秋の日は落ちるのが早い。 時計の針は夕方6時を指したばかり。 なのに、研究室の窓から見える景色は、もう黒い色に染まっていた。 「あ、ヤベ。俺今日バイトなんだわ。帰る」 同じサークルの矢崎が慌てたように立ち上がった。 どうやら、俺が時計を見たのが目に入って、自分も時間を確認してみた------ということらしい。 「おう、お疲れ」 俺はルーズリーフから顔を上げずに応えた。 「あー、そのノート明日俺にもコピらせてくれ」 ばたばたとかばんの中にテキストを片付けながら、矢崎が話しかけたのは 俺じゃなくて、隣に座る同じ科の相沢だ。 俺たちが今写しているのは、相沢のノートというわけ。 「ああ、うん。いいよー。じゃあまた明日ね」 相沢は気前よく笑った。 伸ばしかけの髪を耳にかけながら。 やっと肩につくかつかないかくらいの長さで、毛先のくるりとしたウェーブがきれいな、茶色い髪。 俺は何だか面白くない。 後期試験にはまだまだ先だけれど、来週までにレポートを提出しなくてはならなくなって、 それでこうして相沢のノートを借りている。 講義をサボったり、居眠りしていたりして、ノート取ってなかった俺も悪いけど。 じゃあ、せめて手で書き写すくらいの努力をしようぜ。 ・・・と矢崎に言いたい。 相沢も甘いんだよ。 なんてことを思いながら、カリカリとシャーペンを走らせる。 「わりぃな。今度なんかおごるわ」 矢崎は目の前で手を合わせると、今まで飲んでいたペットボトルを研究室の隅においてある ごみ箱にすてようとした。 「あっ、矢崎くん・・・それ、捨てるの?」 突然思い出したように、相沢がそれを制止した。 「え?うん。もう飲み終わったし」 矢崎が飲んでいたのは、キャラクターがプリントされた清涼飲料水。 グレープやら、オレンジやら、季節限定の味も発売されていて、そのキャラクターも結構人気があるらしい。 「・・・あたし、そのキャラグッズ集めてるの。で、そのう・・・ペットボトルのフタ、貰っていいかなあ?」 上目遣いで尋ねる相沢に、矢崎は笑顔で言った。 「あー、今これ流行ってるもんな。フタってひとつひとつ表情が違うんだろ?」 そして、はい、とフタを渡す。 「べたべたしてるかもしれないから、洗えよ」 「うん」 ありがとう、と相沢がそっとそのフタを受け取ると、今度こそ矢崎はペットボトル本体をごみ箱に捨てた。 「じゃあな。また明日」 「おう」 俺はなんだか胸がムカムカしたまま、矢崎を見送る。 隣で、相沢が小さく「ありがとね」とつぶやくのが聞こえた。 そして、しばらくは俺のシャーペンの音だけが研究室に響いていた。 かりかりかり。 こりこりこり。 注意しないと、長年使われて年季の入った机にはところどころ穴があいていて、シャーペンが突き刺さってしまう。 そんなことを思いながら、女の子らしい丸い字がつづられた相沢のノートを書き写していると 相沢が急にうつぶしたような気配がした。 「・・・どうしたんだよ」 「んー?うん・・・なんでもない」 「なんでもなくはないだろ?腹減ったのか?」 「もう、すぐそういう風に言うんだから」 相沢は、顔は突っ伏したまま。でもそれでもわずかに俺のほうから顔をそむけた。 「悪かったよ」 で、どうした?と水を向けてやると、相沢はやっと顔を上げて、こちらを見る。 くちびるをわずかにゆがめて。 「・・・あたしって、ストーカーかなあ?」 「はあ?」 「ううん、ストーカーっていうか小学生みたいだよね」 そこまで言うと、またぱたりと額を机にくっつける。 「なんなんだよ」 「っていうかさ、好きな人が触れていたものって欲しくなっちゃわない?」 「あ?あー・・・」 俺はあいまいな相槌を打った。 顔を下に向けたままの相沢の表情はまったく読み取れない。 でも、俺には想像がついてしまう。 きっと小さな子供が大切な話を打ち明けるときのような。 ちょっと興奮して、恥ずかしくて、でも言わずにいられないような気持ち、その表情。 髪の間から覗く、ちいさな耳が赤く染まっていた。 「キャラクターグッズ集めてる、なんて嘘なの」 「・・・うん」 「知ってたの?」 「今までそんな話聞いたことねーもん」 「そっかぁ、そうだよねぇ」 相沢は、うつぶして顔にかかった髪を、もう一度耳にかけた。 黒い睫毛にふちどられた瞳の端が、ちらりと見え隠れする。 何でもお見通しなんだから。 でも、何で矢崎くんには伝わらないんだろう。 相沢がぽろりとこぼした言葉を、俺は黙ってやりすごした。 そんなの。 わかるに決まってるだろ。 「あー・・・矢崎は鈍いからな。しょうがねぇよ。まぁ・・・気長にコレクターでもやってろ」 机の上でころころとペットボトルのフタをいじくっている相沢が、健気で、でもなんだか 悲しくて------気がつくと俺は自分でもはっきりとわかるくらい冷たい言い方をしてしまっていた。 「いじわる」 相沢は、俺のその言葉でスネてしまったようで、もうそれ以上は何も話そうとしない。 相変わらずうつぶしたままの、相沢に心の中で話し掛ける。 俺だって集めてるんだ。 ハッキリとカタチを持ったものではないけれど。 相沢も気がついてないだろうけど。 笑った顔。 拗ねた顔。 怒った顔。 くるりとした、茶色い髪が日を受けて淡く輝くところ。 その髪を耳にかける、白い指先。 ゆるやかなカーブを描く口元から出てきた、言葉たち。 そういう、キミの落としていくかけらを、集めてるんだ。 キミは知らないだろうけど。 「なんつかさ・・・まあ、気持ちはわかるから」 「・・・・うん」 やっと相沢が顔を上げた。 にこり、と微笑む。 その笑顔を見て、俺の心も自然と和んだものになる。 まだまだ集めたりない。 まだまだ、キミを好きになりたい。 もし、集めたものがいっぱいになったら。 そのときは。 |
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