『いちご牛乳』



あたしは、もう随分長いこと、ここに立っていた。
夏の太陽が、あたしの髪を、制服を、じりじり焦がしてゆく。
知らず知らずのうちに滲んでいた汗を、手でぐい、とぬぐった。
その乱暴なしぐさに、自分で驚いてしまう。
・・・あたしは、こんなにも動揺していたのか。

何の変哲も無い自動販売機の前に立ち尽くすあたしを
通りすがりの人たちが不思議そうに、怪訝そうに見てゆく。


別に、どうでもいいけど。


じっとりと汗ばんだ手の中には、握り締められて、生温くなってしまった100円玉。
たかだかジュース一つ買うだけなのに、あたしは一体何を緊張してるんだろう?
そう思ったとき、ふ、と口元が軽くゆがんだ。

一年前のあの日も、ジュースを買おうと思って、自動販売機の前に自転車を止めたんだった。
暑い、暑い日だった。
そこには、『彼』がいた。

真っ黒な髪は、風に吹かれるとさらさらと音を立てそうで。
くっきりとした二重と、意思の強さを感じさせる瞳。
その全てが、あたしの視線をくぎ付けにする。
逃げられない、想い。

「・・・おす」
「・・・コンチハ」

軽く手を上げた『彼』に、あたしは軽く頭を下げた。
そこで、何気ない立ち話をした。
そのついでに、あたしは言ってみた。
本当にさりげなく。
内心の動揺を抑えながら。

「二日前、誕生日だったんだ」

彼は、そう、と短く言うと、サイフをごそごそと探っていた。

「ハイ」
差し出されたのは、120円。

「・・・・缶ジュースがプレゼントって、安くない?」
冗談ぽく言ってみたけど、心臓は壊れそうなくらいドキドキ、していた。
苦しい。

「いらないんだったら、別にいーよ」
彼も、冗談ぽく、言った。
そのまま、背を向け、自販機にコインを入れる。
彼に続いて、あたしもジュースを買おうとしたけれど、ふと、そのコインを使うのが
ものすごく勿体ないような気がして。
慌てて制服のスカートのポケットに手を突っ込んだ。

100円玉だけ、入っている。
すかさず、彼から貰った100円玉と、自分の100円玉とをすりかえ、何食わぬ顔をして
彼と同じ青い色をした缶コーヒーを買った。
コーヒーは、しっとりと甘かった。


それだけの話だ。


たったそれだけの話なのに、あたしは、そのコインを捨てられずに持ちつづけている。

『昔好きだった人の写真は、”あれ、どこにおいちゃったかなぁ”って感じになればいい』
本にそう書いてあったから、実際にそうした。
本当に、写真はどこかにいってしまった。

それなのに。


だから、あたしはジュースを買いにきた。
100円玉、キッチリと使いきりたかったから、紙パックがおいてあるところ。

「どれにしようかな、天の神様のいうとおり・・・・」
目を閉じ、指で自販機のボタンを触っていく。

指はイチゴ牛乳を、指した。

真夏にイチゴ牛乳か。
少しゲンナリしたけれど、「天の神様」の言うとおりなんだから仕方ない。
チャリン、という音とともに、コインは自販機に飲み込まれていく。
随分あっけないな。
ボコボコと自販機をたたいてみても、それはもう姿をあらわさない。

ボタンを押す。
ゴトリ、とイチゴ牛乳が落ちてきた。

ストローを刺し、ひとくち、口に含んだ。
とてつもなく、甘かった。
その甘さに耐え切れず、あたしはそれをごくごくと一気に飲み干した。

ずずず、とストローが音を出す頃、舌には、独特の甘さと苦味だけが残った。


苦い。
そうだ、苦いんだ。

あたしの気持ちも、同じようなものだった。
甘いのに、どこか苦い。
いつまでも口に残る苦さだけが、存在感を主張する。


彼は、あたしよりも、ほんの少し先に大人になった。
もう、会えないんだということは、あたしが一番よく知っている。
哀しいくらい、それは現実だった。
たった1つ、優しくされた思い出のコインを捨てられないくらい。

ぎゅうっと、瞼を閉じる。
最後に見た、彼の白いシャツは痛いほど眩しかった。

だけど。

だけど、確かにイチゴ牛乳は甘く、あたしのおなかを満たしている。
あの日の缶コーヒーも。

風がセーラー服のリボンを揺らしていった。
くしゃっと紙パックを丸めると、あたしはそれをごみ箱に放り投げる。
コン、と気持ちのいい音がした。


「ナイッシュー!」




初短編(笑)。
結構思い入れの深い作品です。
イメージは「夏」「セーラー服」「青い空」。
・・・なのに、画面はピンクですね。イチゴ牛乳といい、あまり爽やかさがだせなかったかも(^^;
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