キッチン キッチンの白い蛍光灯が、やけに白々しく見える夜だった。 空になったペットボトルを、ごみ袋に次々と放り投げていく。 勢いが良すぎたせいか、閉め方が甘かったらしいキャップが袋を通りすぎ、ころりと床に転がった。 「・・・・あーあ」 仕方なく、重い腰を上げ、ごみ袋の側まで行く。 何だか申し訳なさそうに転がっているペットボトルのフタを手に取ると、残りの液体が こぼれてしまったせいかべたべたとして気持ちが悪かった。 きっと、床もべたべたになっているだろう。 雑巾を取りに行こうかとも思ったけれど、それも面倒くさくて、サヤはその場にぺたりと座り込んだ。 仕事を終え、疲れているはずなのに、部屋の掃除を始めてしまった。 しかも、こんな時間に。 壁にかけられている時計を見上げると、とっくに「今日」は終わっている。 よく隣や下の部屋から苦情が来ないものだ。 いや、ひょっとしたら明日の朝、嫌味を言われるかもしれない。 管理人に文句の電話がかかっているかもしれない。 でも、掃除をしたくなってしまったのだ。どうしても。 昔からそうだった。子供の頃からずっと。 気持ちの切り替えをしたいときは、決まって部屋の掃除がしたくなった。 現実逃避をしていたのだ。 テストの前とか、親に叱られた日とか。 もともと、整理整頓が得意な方ではない。 いや、正直に言うと、苦手なのだ。 居間兼寝室として使用している部屋は、−といってもワンルームしかないのだけれど− 取りこまれたままの洗濯物が積み重ねられているし、その隣には、昨日着たらしい 服の小山があったり、する。 ベッドの上には、脱ぎ散らされたままのパジャマ。 テーブルの下には、読みかけの雑誌が積み重ねられていた。 とても20代の女性の部屋とも思えない散乱ぶりに、サヤは頭を抱えた。 使った皿をそのままにしておくのだけは許せない性分なので、キッチンはキレイだけど。 今泥棒に入られたって、一体何を取られたのかわからない。 ・・・・これじゃあフラれる訳だわ。 キッチンの床に座り込み、膝に顔を埋め、視線だけ居間に向けた。 もちろん彼を部屋に上げるときは、これでもかというほど掃除をした。 初めて彼が遊びに来たときは、カーテンまで洗濯してしまったほどだった。 −でも、そんなうわべだけのことをしたって、中身が伴っていなかったらダメなんだよね。 口元が皮肉にゆがむのが、自分でも分かった。 そう、うわべだけのことをしたって、ダメなのだ。 「いい女」を演じていた。 彼の前では、いつも。 気が抜けなかった。 気を抜けなかった。 それは彼も同じだった、らしい。 彼は同じ課の、女の子を好きになってしまった。 彼女のことを、サヤも知っていた。 ふわふわとマシュマロのように甘い−でもきっと安らぎを与えてくれるだろう−女の子だった。 「ごめん」 頭を下げ謝る彼に、サヤは最後まで「いい女」を演じてしまった。 平気よ。気にしないで。 ちゃんと、笑って言えた。 だから彼の背中を見送った後、トイレに駆け込んで嗚咽をもらしても、それくらいは 許されるような気がした。 自分はマシュマロではない。マシュマロのように、柔らかくも甘くもなれない。 そう、部屋だってキレイにできないんだもの。 いくら自分をキレイにしてみたって。 目の前のトイレットペーパーを引っ張った。 カラカラと音を立て、それはサヤの手に巻かれていく。 白くて柔らかいそれで、サヤはぐい、と口紅をふき取った。 現実逃避、したくなってしまったのだ。 今日も。 二十歳もとっくに過ぎてしまった今も。 のろのろとキッチンの床から立ち上がり、べたつく手を、勢い良く水を出して洗う。 雑巾を取りに行くのが面倒くさかったので、キッチンペーパーを水で浸し、それで床を磨くことにした。 ごしごしと磨いていると、キッチンペーパーに浸したものではない水滴が、落ちてしまったけれど。 気がつかないフリをした。 掃除を終えたら、少しは変われるだろうか? 明日は、土曜日だ。 お布団を干して、カーテンも洗ってしまおう。 彼のためではなく、自分のために。 |
・・・私も片付けが苦手です(苦笑)。 タイトル、吉本ばななさんのあまりにも有名な作品があるので 大変迷いましたが、やはりこれにしてしまいました。 >>Novels top |