『少しだけ、切ない』 台風が来たあとの空は、まぶしいくらいに光って見える。 夕日が名残惜しそうに沈んでいくのが、手にとるようにわかった。 強風が空気中のゴミやらを全部飛ばしてくれるから、っていう理屈なんだろうけど、 美術室の窓から見える山々の稜線までくっきりと見えて、なんだか目が痛い。 さっきまで一緒に絵筆を動かしていた由香子は、グラウンドから野球部のかけ声が聞こえなくなったあたりから 妙にそわそわし始めたかと思ったら、かたん、と控えめに椅子から立ち上がった。 「ごめん、若菜。私今日は帰るね」 両手を合わせて申し訳なさそうにいう由香子は、最近急にキレイになった。 窓から差し込む夕日を受けて、ほんのりと赤く染まる頬。 「ううん、いいよ。由香子もうほとんど絵、できあがってるし」 「ほんとごめんね。一人にしちゃって」 「いいってば」 半分苦笑しながら、私が「やだな、もう」といった感じに手を振ると、由香子は少しほっとした表情になった。 そしてそのまま、壁際に取り付けられた洗い場で、絵筆をゆすぐ。 グラウンドは、もうすっかり静かだ。 明日から始まる、甲子園地区予選に向けて、今日は早く練習を終えたらしい。 「じゃあ・・・また、明日ね」 由香子が遠慮がちに手を振ったとき。 美術室のドアが遠慮なしにガラリと開かれた。 「東原!何やってんだよ。おせーよもー。俺腹減ってたまんないんだって」 「・・・中島。ちょっとくらい我慢すれば?」 若菜、驚いてるじゃない。 由香子はそういいながらも、ドアをあけた同じクラスの中島に笑顔を向ける。 多分、私にも他の友達にも見せたことのない、笑顔。 ドアをあけたのは、由香子と同じクラスで野球部の、中島くん。 私とはクラスが違うし、もちろん部活も違うし。 言葉を交わしたのなんて、たったの1回しかない。 「あー、ごめんな、若菜サン。いつも東原がお世話になってますぅ」 それでも、中島くんは親しげに毎日の練習で、くっきりと日焼けした腕を前に揃えてぺこりとお辞儀をしてみせる。 「あ・・イエ・・」 そのすんなりと伸びた腕にどきりとして、もごもごと口の中で言葉を転がしていると、由香子がぺしりと中島くんの後ろ頭をはたいた。 「もー!中島っ。若菜驚いちゃってるじゃない。ふざけるのもいい加減にしてっ」 「ってぇな。いいじゃん。別に」 「なんでよっ」 「彼女のオトモダチは俺のオトモダチでもあるのっ・・・な?若菜サン?」 由香子とまるで子犬がじゃれあうように口ゲンカしていた中島くんが、急に私のほうを振り返った。 「え。あ・・うん」 突然で、頬に血が上る。 でもそれは、すらっと「彼女」って呼ばれた由香子も同様だったみたいで。 由香子も 「・・・何バカなこと言ってんの」 なんて、恥ずかしそうにくるりと中島くんから背を向けた。 中島くんは、そんな由香子をほんの少しだけ嬉しそうに見つめて。 すぐにいつもの調子に戻って、由香子にちょっかいを出し始めた。 「なー、だから。俺腹減ったんだって。早く帰るぞ」 「はいはいっ。わっかりました!・・・で?何食べて帰りたいわけ?」 由香子は空いているイスにおいてあった自分のカバンを取って、中島くんの横に立った。 野球部の練習のせいか、すんなりと細いけれど、しっかりと筋肉のついた中島くんの横に立つ由香子。 ほっそりした足の、女の私でも支えたくなるような華奢な由香子は、中島くんの横がとても似合っている。 夕日を受けて赤い輪郭に染まる二人を見て、そんなことを、ぼんやりと思った。 「じゃあね。若菜。また明日ね」 「じゃあね〜。若菜サン、また明日ねッ」 ふざけて由香子と同じポーズで手を振る中島くんを、由香子はもう一度ぺしりと叩いた。 「中島は明日地区大会の開会式でしょっ」 「あー、そうでした。・・・じゃあ、またねっ若菜さん。また明後日ねっ」 ・・・明後日は土曜日なんだけどなぁ。 そんな中島くんに苦笑しつつ、私も二人に手を振った。 お似合いの二人だ。 ドアを閉めて、廊下を歩いていく二人を見て、素直に、そう思う。 そろそろ私も帰ろうかな。 展覧会に出す予定の絵は、ほとんどできあがっている。 きっと明日頑張れば仕上がるだろう。 そう思って、画材を片付けようとイスから立ち上がりかけて。 半分腰を浮かせた状態から、私はもう一度、ぺたりとイスの固い板にお尻をつけた。 なんだかひどく体力を使ってしまっていた。 なんだかひどく、夕日がまぶしく見えた。 □ 入学したときから同じ部活で、一番仲の良かった由香子に好きな人ができたことくらい、とっくの昔に気付いていた。 由香子はいつだって窓際の席に座って、赤い夕日を浴びながら絵を描いていたから。 その席は、野球部の練習が、一番よく見える場所だったから。 いつだったか、こっそりと 「中島がね・・・好きなんだ」 って教えてくれた由香子が、ドキリとするほどきれいだったことを思い出す。 由香子をあんなにキレイにする男の子って、どんな人なんだろう? 興味がわいた。 気がつけば、由香子と同じように彼を目で追うようになっていた。 好きなんじゃない。 ちょっと、気になるだけだよ。 自分の心に、言い訳をする。 そんな中島くんと言葉を交わしたのは、たった一度きり。 雨で、部活がおやすみだったらしい中島くんが、美術室に遊びにきたのだ。 「おなかすいちゃってさぁ。ここなら何か食べ物あるっしょ?」 そんなことを言いながら、由香子が用事で部活を休んでいることを知った彼は結局何も食べずに帰っていった。 そのとき、交わした少しの会話。 「若菜さん、絵、うまいね」 「・・・そんなことないよ。由香子のほうがうまいよ」 「んー、俺、絵のことよくわかんないけど。なんか若菜サンの絵って、優しいよな」 「そう、かな」 そんなことを言われたのは初めてで。 私は思わず絵筆を握ったまま、下を向いてしまった。 それだけ。 それだけなのに、あのくっきりと日焼けした腕に、胸の奥がきゅう、と音をたてた。 □ あのときの胸の音を思い出して、私は慌ててふるふると頭をふった。 さあ、私も帰ろう。 勢いをつけて、イスから立ち上がる。 美術室のすみにおいてあったカバンを手にとって・・・それからふと窓の外に目をやった。 校舎の北側の、正門から今まさに出ていこうとする由香子と中島くんの姿が目に入る。 由香子の歩調に合わせるように、ゆっくりと自転車を押す中島くん。 由香子のカバンは、自転車のカゴの中だ。 ああ、大事にされてるんだなぁ。 ふと、胸の中がじわりとにじんだ。 喜んであげなきゃ。 友だちがずっと好きだった人と結ばれたんだもん。 お祝いしてあげなきゃ。 そうだ。今度の地区予選には一緒に応援しにいこう。 メガホンなんて買っちゃって、二人で大きな声で叫ぼう。 そう、思っているのに。 何でなんだろう。 何で泣きたくなるんだろう。 涙が出てくるわけじゃない。 ただ、泣きたくなっただけ。 好きなんじゃない。 ちょっと、気になってただけだよ。 それなのに。 赤い夕日に照らされて、ゆっくりと歩く二人を見ているのが。 ・・・少しだけ、切ない。 |
ああ。また暗い話を書いてしまった。 photo by [n.sence] >>Novels top |