懐 園

10、さよならが言えない


 
騎士団に入団してはやくも2年以上過ぎた。
 
アバンは落第することなく、順当に1年の準騎士時代を経て、騎士となっていた。
万事に小器用で、城内の女性受けがよく(「もてる」とはまた別だが)、博識では騎士団内でも指折り。武術はそこそこ。
それがおおむねの評価になっている。
アバンは王家に保管されている、膨大な資料や書物の閲覧を自由に許されている。
もちろんフローラの懇意あっての処遇だが、表向きは「図書館員」ということになっていた。
たわいない世間のものから、希少本まで、実に雑多な様相をていしていた所蔵に、アバンはおおいに楽しんだ。
祖父の屋敷にあった本は、すべてが学術的資料であり、その質ではあるいは王家をしのぐものだったが、そこでは知り得ない世界がここにはある。
最新の地図から、各国各地の名所ガイド、薬効にかかわらない花の名前、小説、美味しい料理のレシピ。
アバンは非番を利用してはそれらで知ったものを探して回った。
街にくだり、酒場に迷い込み、市場で買った果実で徹夜あけの朝食をとる。
ひとりでこっそりと出歩くこともあれば、つれと出ることもあった。
その多くの機会がロカとすごすようになったのはいつからか。
 
入団であまり好ましくない出会いを果たした少年だったが、ロカもまた順当に……むしろ目覚しい成果で騎士になった。
やや直情にすぎる剣だが、集中力が高く馬力がある。なにより明るく、裏表無い快活さが周囲の信頼を得ていた。
まさに拳を交わして友を得る、などという、ありそうでなかなか出来ないことを素でやっているのだ。
騎士団の中でも若手で構成される、近衛師団の団長に近々推挙されるという噂もある。
もっとも本人は騎士としての己の本分、というものに熱意をもっているものの、そんな周囲の思惑とはあまり関係ないようだった。
アバンにとっては、入団から裏表のかたまりのような自分とはちがって、ひどく自由に見えた。
ある種のあこがれのようなものがある。
あんな風にぬける晴天のような、なにも翳らない自由な性情は自分には持ち得ないものだ。
 
「近衛師団は王族の方々と直接接する騎士です、品性や礼節、優雅さがなければ。私たちはアバン殿こそ団長になるべきだと思います」
「はぁ……」
 
アバンは肘をつきながら図書室の窓ごしに、自主稽古に汗を流すロカたちを眺めて気の無い返事をした。
こんなに聞いているんだか、やる気のまるで感じられない態度のアバンに、頑張っている面々は主に貴族の家柄の若い騎士たちだ。
彼らとてロカの人となりに不満があるわけではない。だが彼らの言うとおり、近衛師団は性質上、貴族や騎士の家柄の若者が団長を勤めることが多い。
筆頭師団とも呼ばれる第一師団をはじめとする、遠征や辺境警備を担当する第一から第三師団にくらべてはるかに実戦の場は少ない。精鋭とよばれる者は、経験をもとめてここに所属するものが多い。
経験に富み一線をひいた騎士や、若手騎士、準騎士で編成されるのが、城下を治安する本師団。現在のふたりが所属している師団だった。治安だけでなく、騎士団全体の運営母体でもある。
人望のあついロカには普通に考えればこのどちらかが向いているとは言える。
アバンは耳まで赤くしながら、ぎこちないステップを踏むロカのダンスを思い出して微笑んだ。
近衛師団になれば、ロカはさぞかし窮屈になるだろう。今からアバンに愚痴をたれるロカを想像するのはた易い。
けれど近い内に彼の技量がこの中心地で必要とされる日がくる。
いいや。
何より、魔王との戦いの時には自分の側にいて欲しいと思った男だからだ。
 
「……私はロカが団長に指名されるなら、ぜひ副官をしたいと思いますよ。きもちのいい男ですから」
「アバン殿!」
 
なにがいいのかロカはこんな胡散臭い自分のを気に入っている。
周囲からはまるで性格がちがうと言われる2人だが、自他ともに認める親友という位置にいた。
ロカは単純だが感の鋭いところがある。人となりを嗅ぎ分けるような本能的才能だ。アバンがただロカに友としての好意だけから、側にいるわけでは無いことは薄々察しているはずだが、彼は何もアバンに聞かなかった。
それが時折アバンには苦しい。
ロカが好きだ。けれど、魔王との戦いで必要だ、と思う自分は打算的ではないか。
ロカの周囲にいつもいる親しい者たちには、アバンはあまり好まれていないのも知っている。
単純に家柄のよい、優等生なアバンへのやっかみもあるだろうが、彼らもどこかこの騎士団に属しきれない違和感をアバンに感じているのだろう。

 
 
 
 
「出迎えないと許さないって、いわなかったっけ」
 
アバンは久しぶりに見る姿に、思わしげに目を細めた。
前回帰郷したときよりもさらに弱っているかつての魔王は、あずまやの長椅子に半ば横たわるようにもたれてアバンを見上げていた。
ひんやりとする頬をなでて、そっとふれるだけのくちづけをした。
 
「おしおき」
 
くつくつと笑う魔族に、アバンは内心ほっとする。
まだ笑ってくれる力は残っている。
傍らにひざまづき、差し伸べられた腕に頭をあずけて息をつく。
 
「だいぶ騎士らしくなってきたな」
「そう? 騎士らしくない騎士っていうのが私の定評なんですけどねぇ」
「しんどいか」
「…………割りきらなきゃいけない、って解ってるのに。誰にも好かれるはずないと解ってる。まして自分のやってることといったら、ロカを騙しているような気までするよ」
「そうか」
「うん」
 
本当はそんなことないと判っている。魔族にもアバンにも。そしてお互いが判っていると知っている。
だから慰めの言葉はいらない。受け入れられるだけで十分だった。
 
「それでも誰かに嫌われてるって、感じるときはきついね」
 
そっと頭を撫でる大きな手に、アバンは目を閉じた。
 
「……すべて知ったら。ロカも俺を嫌うだろうか」
「そうはなるまい」
「ヒュンケルもそう思う? 俺もつい期待しそうになる。ロカならそれでも側にいてくれるかもしれないって。勝手だな」
「お前はいとしい」
「なにそれ」
 
アバンは預けていた頭を上げて苦笑しつつ、魔族の顔を覗きこんだ。
 
「そういう時は、優しい、とか、いいやつだとかいうんじゃない?」
「優しくない時も、いい子でないときもあるだろう。だがいつでもいとしい。愛されるに足る子だよ。おまえは」
「…………ま、まだこども扱いなんだから」
 
青いてのひらになついて顔をふせるアバンの耳がほんのり赤い。
 
「そうだ。お前は永遠に私のかわいい子供だ」
「ずるいぞ。ヒュンケル……」
 
胸元まで引き上げられて、笑う波動が直接胸からアバンの耳につたわってくる。生きている。生きていて。
 
「……アバン。時が近い」
 
アバンは胸にふせたまま、いやいやと首を振った。
 
「どうしたい。私を看取るか」
「……」
「少しでも気持ちがやわらぐなら、離れていなさい」
「やだよ」
「つらいだろう」
「……期待してしまう。また会えるって」
 
やさしく髪を撫でる手が、それは無理なのだと答えている。
どうして別れて行くのだろう。どうして誰も自分の元にとどまってはくれないのだろう。
アバンはすがる指が白くなるほどに、力を込めた。

 
 
 
 
いつしか白いものが空を舞い始めていた。
ロカは配給のマントのあわせを指先でたしかめた。
 
「寒いはずだぜ、ったく」
 
城内の道を官舎へ向かってたどる足元に落ちては消える雪を視線で追う。今は消えているこの欠片も、夜の冷えで翌朝には白くつもるだろう。
今日は親書を運ぶ使節の護衛に、隣国から帰ってきたばかりだった。
近衛師団への配属はほぼ間違いなく、おそらく団長の話しも決まりだろう。その予行演習のような仕事だった。
柄じゃない、とロカは自覚している。
こんな仕事は親友のアバンの方がはるかに達者だった。自分ときたら、晩餐会でご婦人の足を踏みやしないか、と気にするばかりで、肝心の外交などあろうはずもない。
それはアバンにも判っているはずなのに、それでもアバンまでもがロカを推していることを知っていた。
ならばそれもいいだろう。
そう思う。アバンは胡散臭いが、信頼に足る男だ。
自分のように武術一辺倒という輩ではない。ロカは庶子の出である自分のほうが、どうにかするとアバンよりもはるかに世間知らずだと知っている。
信じてみたいと思うのだ。
理由などもとより顧みない性質だ。ただ、そうしたいと思う。
当のアバンとは、入団以来の長い帰郷でしばらく会っていない。
一度戻って、あらためて休暇を申請していたようだったが、あわただしく、その時もロカはすれちがいで会えずにいた。
近くにいてもいなくても気になる奴だ。
ロカはひとりごちると、官舎の脇におかれたベンチを見つめて足を止めた。
 
「何してるんだ」
 
うなだれていたアバンがのろのろと顔を上げた。
 
「待っていました」
「俺をか」
「……はい、多分」
「たぶんて、オイ……」
 
その顔を見てロカは言葉を失った。酷い顔だった。
いつもかけている眼鏡がないことに気付く。それでこんなに、その目が見えるのか。
そうじゃない。ロカは眉を寄せた。
今になってどれだけ普段のアバンの目が、感情のないものだったか分かる。形ばかりが美しい微笑みだ。
 
「振られたんです」
 
ロカはまた驚く。そんな色気がこの友人にあったのか。
 
「振られたって、好きな子がいたのか。どんな子だ」
「綺麗な大人のひと」
「そ、そうか……」
「振られてわかったんです。本当に好きだったのに」
「うん、う、ん」
「いってしまった」
「そうか」
「どうしよう。ねえ、ロカ。私はどうしたらいいんでしょうね」
「どうしようって、どうすりゃいいんだ」
「わかりませんか」
「わかるかよ。俺だって女の子とまともに付き合ったことねーんだよ」
「私もです」
「……おう」
「さよならって、言わなくてはいけなかったのに……言えなかった」
「……しかたないだろ」
「だってもう言えないのに」
「さよなら出来ないから、言えないんだろ。無理に言うことないさ」
「だって」
「だって、じゃない」
 
ぐい、とアバンの凍えた腕をひっぱり、ロカは官舎へと引きずって入った。
 
「いいんだよ」
 
今日はノロケでも愚痴でもきいてやる、俺様はやさしいからな。照れ隠しにか、乱暴にいいはなつロカに、アバンは顔を上げずひきずられるにまかせて頷く。
 
「……ありがとう」
 
勝手知ったアバンの部屋に押し入りながら聞こえた言葉に、ロカは何に対してかがわからず返事をしなかった。
明日は雪がつもったらいい、ぼんやりとロカは思う。
 
 
 
 
それから半年ほどたった頃、カールはハドラーと名乗る魔王の出現に揺れた。
 
 
 


 

 

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