乾いた音をたてて衣類が床に落ちる。上着を落とし、シャツを払うとヒュンケルは改めてラーハルトに向き直った、当惑した琥珀の瞳がヒュンケルを見つめる。
ヒュンケルは目の前に立つ自分と同じくらいの年齢の男を眺めた。
魔族特有の幾分青い肌、責金色の髪、同じ黄琥珀の瞳、彫りの深い整った顔。当人の自覚があるかは知らないが、周囲の目を引かずにほおかない派手な容貌の戦士。
そっと唇が触れ合う。角度を変えて触れ合わせるだけのものが、どちらからともなく薄く唇を解く。舌を絡め、吐息を奪う。唇は思った以上に柔らかく、没頭した。
長い貪るような口づけを終えると、ゆっくりと呼吸を整える。
ラーハルトはヒュンケルの濡れた唇を、親指の腹でなぞると、薄く切れ上がった目に唇を落とした。
なぜ、ヒュンケルが自分の欲求に答える気になったのか解らない。もし自分なら絶対に応じないだろう、相手がヒュンケルだろうがだれだろうが。
ヒュンケルだとて知らないことはないだろう。抱くときに感じるのは肉体ばかりではない、征服欲もだ。同じ男で、それを受け入れるには矜持が許さない。
ヒュンケルもプライドの高さはラーハルトに勝るとも劣らぬ類だというのに。
ヒュンケルを促してベッドに腰掛けさせると、ラーハルトは自分も服を脱ぎ捨てた。
薄い色の瞳がラーハルトを見上げる。白磁のような肌、その首筋にかかる透けるような銀髪を一房指に絡めた。
首筋に、鎖骨にキスを降らせる。白い肌は無数の傷跡が残されていた。
内出血の跡はほとんど消えていたが、切り裂かれた後の、薄赤く皮府の色の違う箇所が至る所にある。見えぬ体の奥には、癒えぬ傷が数え切れぬほどだ。
軽く爪を立てながら肩を、胸をたどり腹筋を掌で確かめるように撫でる。
幾つもの戦いを越えた最強の戦士の肉体。けれども思うよりずっとその躰はやわらかい。
魔族のような強い再生能力ももたない。鱗も甲羅も、ましてオリハルコンのような強固さはかけらもない生身の肉が骨をおおうばかりだ。
戦火の中で敵として出会い、命をやり取りし、いつかかたわらに立った。ラーハルトの知らぬ戦いすらも越えて生き続けたこの脆い肉体に、ある種感動を覚えるほどだ。
キスを繰り返しながら、ゆっくりとベッドにヒュンケルを横たえ、その体にぴったりおおい被さるように自分の体を密着させた。
全身で触れる瞬闇、ヒュンケルの体が微かに緊張したのが伝わってくる。女のような柔らかさは無いが、十分しなやかで弾力を持つ肌は心地好かった。
そう言えば前にだれか抱いたのは何時だったか。
このまま眠ってしまってもよい気もしたが、その一方では楽しみたい
欲求が先よりもはっきり胸に沸いてきた。
体を少しはなして覗き込むと、ヒュンケルが1度、2度ゆっくり瞬き、閉じていた瞼をひらいてラーハルトを見上げた。
「するぞ」
「………」
返事は無かったが、変わりに再びヒュンケルは目を閉じると、腕をあげてラーハルトの肩を軽く抱いた。
その瞼に口づけ、耳を吐息と絡めて軽くかみしだく。
逃れるように動いたため露になった首筋を吸った。舌先が息を飲んだヒュンケルの反応をリアルに感じ取る。体をずらして胸元へ唇を降らせながら、脚を少し引き上げるとその間に自分の脚を滑り込ませ開かせた。
胸の突起を口に含んで嬲ると、微かに早まった鼓動が唇を伝ってくる。左手でもう片方の突起を固くしこるまで緩急をつけて揉むと、そのまま下腹部へと撫で下ろした。唇が後を追うように、胸元や腹に赤い跡を残していく。
まだ、皮膚の柔らかい傷跡を唇が掠めるたぴ、ぴくっと体を竦ませるヒュンケルの反応を楽しみ、脇腹にあるいくらか大きい薄ピンクの傷跡に歯をたてた。
「っ……」
完全にころし切れず、漏れた声の余韻に、それを自覚し目元を染めて顔を背け、手を噛むヒュンケルの仕種に感じた。熱が少しづつラーハルトを浸蝕し下腹部にとどまっていく。
身を捩って逃れようとするヒュンケルをベッドに縫い止め、しつこく同じ傷跡を攻めた。
舌を這わせ、吸い、歯をたてる。
「ラーハルト」
堪え切れずに、幾らか非難を含んだ声がラーハルトを呼んだ瞬間、赤く染まった傷跡に犬歯をたてた。
「っう……ぅ……」
ヒュンケルは、びくっ、びく、と痛みに体を震わせ、筋カのある腹はラーハルトの体重を脚に棄せたまま反射的に逃れようと波打った。
それさえ押さえ付け、逆に動きに乗じてヒュンケルの両腕を背中に捩じり片手で押さえると、腹を浮き上がらせた。
耐え切れずに再びわずかに裂けた傷口から血が流れるのを口に含み、さらに舌で嬲る。
ラーハルトを呼ぶために開いた口からは、押さえきれなかった声が切れ切れに漏れこぼれた。痛みにヒュンケルが気を取られている間に、ラーハルトはヒュンケルの股間のモノを握り込む。
短く息を吸うと、ヒュンケルの動きが止まった。
ラーハルトが傷口から顔を上げると、ヒュンケルは乱れた息を押さえるようにしながら視線を向けた。
ラーハルトの青ざめた魔族特有の唇に、赤いヒュンケルの血が滲んでいるのが目に止まる。その視線に気付いたラーハルトは、ゆっくりと舌で自らの唇についた血を舐めとった。
と、ラーハルトの手の中の固さが増したように感じられた。
背けた顔を追い、唇を重ねる。舌を絡め合い、貧り合うあいまに、ラーハルトは知った構造の中心を擦り上げた。
ヒュンケルも解放された腕を前にのぱし、ラーハルトのモノに指を絡める。互いの擦れ合う肌が汗に濡れ、篭った息が喘ぎにかわるとラーハルトはヒュンケルから体を離した。
片膝の裏に腕を入れ折り曲げるようにして体を開かせると、徴かに苦痛の声が漏れた。
体勢の苦しさと言うよりも、不自然な姿勢で受けるラーハルトの体重に癒えないままの体の傷がきしむようにヒュンケルに苦痛をもたらす。
なだめるようにラーハルトがヒュンケルの折り曲げた腿の内側を吸うと、ヒュンケルが息を飲むのが伝わった。
舌が脚の付け根に至り、さらに奥を辿ろうとするとヒュンケルがラーハルトの髪に滝をからめてひいた。構わず進もうとして、予想外に強い力で引かれ顔を上げた。
「ヒュ……」
「いい……構ぅ…な…」
「しかし……」
『傷付くぞ』と言い掛けて口を噤む。体に受ける傷よりも、羞恥や事後に起こる屈辱感が精神にもたらす負担の方が重い者もいる。
このまま進めばヒュンケルは、苦痛が勝って感じないだろう。プライドも何も無視して、解きほぐし、自ら体を拓かせたい欲求も確かにあるが、これ以上酷いことにはしたくなかった。
体を起こし、ヒュンケルの脚を抱え直すと片手で奥の肉を割り開き、自分の物をあてがう。ヒュンケルが顔を背げシーツを噛む姿を目の端でとらえながら、強引に侵入した。
痛みから逃れようと背を弓なりに反らし、ずり上がろうとする体を押さえて、先を埋め込むと息をつく。きつく収縮して異物の侵入を拒む内壁に動きを止めて、ヒュンケルの胸を撫ぜ、唇を這わせた。
ヒュンケルが意識して体からカを抜こうと、少しずつ息を吐いた。緊張がいくらか緩んだ瞬聞、一気に根元まで飲み込ませる。
「んん……っ……」
「く……ツ…」
ビクビクと痙攣を繰り返し、ラーハルトを痛いほどにきっく締め付ける内側に、堪らず呻きを漏らした。
ヒュンケルが噛んだシーツを離して喘ぐように荒く呼吸をする。無意識のうちに苦痛から逃れようと、片手でラーハルトの肩を押し退けるように身をよじったが、がっちりと下半身を押さえ込まれそれ以上にはならなかった。
ラーハルトは深く息をついた。このままでもずいぶんといい。
腰を動かさないように注意しながら、痛みに強張るヒュンケルの髪を撫ぜるように梳き、寄せられた眉の聞にくちづけた。
空いたほうの手は萎えたヒュンケルのものを再び追い上げるべく動いた。
強張りを解きほぐそうとやわらかなキスを繰り返す。もはや整えきれない息が漏れ、ヒュンケルのキスのために赤く染まった唇の緩んだ合間から赤い舌が覗く。
つかの間その扇情的な光景に目を奪われる。すると、やや濡れた睫毛を震わせて、閉じられていた瞼が開いた。
情欲に濡れた、しかし何もかも見透かすような鋭い光がそのままに宿る色のない瞳に見据えられ、ラーハルトは我を忘れた。
腰を抜き差しし、その動きに合わせて、ともすれぱ萎えそうになるヒュンケル自身を愛撫する。ラーハルトの律動に合わせてヒュンケルの体も揺れた。
荒い息、湿った音を立てて擦れる体。
「……っヒュンケ…ル……」
呻くような声と共にラーハルトが達すると、内側に溢れるものの感触に、ヒュンケルもイルカの鳴き声のような擦れた声をあげ、ラーハルトの手を汚した。
瞼を赤い光が貫き、ヒュンケルは目を覚ました。
体中を気怠い痩れが覆っていて、瞼を押し上げるのにも苦労する。こわばった体をなだめるように、そっと詰めた息を吐き出した。
部屋の唯一の窓から、陽の光がちょうどヒュンケルの枕元を照らす程に昇ったのだ。かなり高い。
そろそろと体を動かして寝返りをうつ。隣にラーハルトの姿が無いことにヒュンケルは感謝した。
「大丈夫か……」
昨晩の情事など微塵も感じさせない、きちんと身支度を整えたラーハルトがヒュンケルを覗きこむように見つめた。
「ああ……」
そんなラーハルトを眺めて、ヒュンケルはこれでラーハルトが姿を消していてくれればもっと良かったと、内心溜め息をついた。
ラーハルトの目を見たくは無かった、きっとラーハルトはこの事を後悔するだろうと、昨日受入れながら思ったのだ。
言い出したのはラーハルトだが、おそらくラーハルトは自分の感情をはっきり理解して、ヒュンケルを欲しがったわけではないだろう。ヒュンケルが誘わなければ、戯言で済んだかもしれない程度のものだ。
おまえは傍迷惑な奴だと、ヒュンケルを言った男がいた。
道の真ん中にぼっかり空いた穴のようなやつだと。
まったく無視し、避けて通れぱそれで済む。だが道の真ん中に空いたものを無視するのほ難しい。覗けば底知れない深遠な闇が在るばかりだ。
恐くなって逃げ出せばまだ良いほうだが、深さを知りたがったり、埋めようとすれば酷い目にあう。水が流れるように、熱が温度差を埋めようと移動するように引かれずにはおれず、気がつけば自分は空っぽになって、しかも目前の穴はやはり以前と同じように深い淵をのぞかせている。
覗いた者は、その闇に己を見るのだ。
穴を抱える者は多いが、大概はそれを埋める者がいる。おまえぱ底無しだ、質が悪い。
ヒュンケルの出会った中で唯一、その『底無しの穴』を平然と行き来する男が、そう評して笑ったのだ。
「ヒュンケル……」
「先に立ってくれ」
「……ああ」
少しの間ためらった後、ラーハルトは返事をした。他に言い様もない。
ラーハルトが目を覚ましたのは、ヒュンケルと大差もない、やはり随分と明るくなった頃だった。
隣に眠っているヒュンケルの背を見て、酷く不思議な気持ちにさせられた。
情事のあと、互いに泥のように眠った。こんな風にぐっすり眠ったのは随分と久し振りだった。
本当に昔、母親の膝元で眠ったわずかな期間があったが、その後は生理活動として最低限必要な量を眠るだけだった。
それはヒュンケルにとっても同じだろう。睡眠は最も無防備になる瞬間だからだ。
それが目覚めるまでまるで意識が飛んでいた。殺されてもそうと気付かないままだったにちがいない。
鈍い気怠さを訴える筋肉を無視して、出来るだけそっとヒュンケルの髪に手をのばした。
昨日ラーハルトの腕のなかで乱れた、透けるような銀の髪だ。
普段なら腕をねじ上げられるかされそうだが、目覚める様子はなく、一瞬呼吸をしていないのではないかと覗き込んだほどだ。
互いに自分で思う以上に疲れ、飢えていた。
目が覚めれば、ヒュンケルはラーハルトを気遺って、昨晩の事など無かったように振舞うだろう。それは多労お互いに一番いい方法だ。
プライドを曲げてラーハルトを受け入れた事があった、それだけで十分なはずだ。
だがいっそ目覚めないでいてくれれぱ良いと、考えている自分に気付いてラーハルトは驚いた。
目覚めるまではこの白い生き物は、ラーハルトのものだった夜の続きを夢見ているからだ。
「次にダイたちと会ったとき、何もなかった様に振る舞うのを忘れるなよ」
宿の部屋を出ようとドアを開けたラーハルトの背中に、やはり背を向けて横たわったままのヒュンケルが声を掛けた。一瞬、足を止めたが返事の声は出ず、ラーハルトは部屋を後にした。
わかっている。そんな事はわかっている。わかっている。ラーハルトは、心のなかでいらただしく繰り返した。
わかってはいたが、自分が主とも父親とも思い命を尽くしてきた人の、忘れ形見の少年を思い浮かべて苦々しいものが胸に残った。
ヒュンケルを恩人として、また、兄のように慕っていたからだ。その姿は自分がバランを慕う姿を思い出させ、思い出を汚してしまったのではないかと危慎を抱かせた。
宿場をぬけ森を渡り、もときた分かれ道へと差し掛かって、とりあえずは何処へ行こうかと足を止めた。そしてふと、ヒュンケルにこの後どうするつもりか、結局聞きそびれたことに気付いた。
急に肩に掛けた槍の重さを感じた。夜の暗がりに浮かぶ白い肌を思いだし、抱いた耳元にかかった熱い息遣いを感じて息を詰め、顔を片手で覆った。
それが聞きたかったのだ。あの、2人といないだろうその存在も、容姿も、すべて欲しかった。
だがそれ以上に、これからどう生きるか聞きたかった。誰にも告げぬような苦しみをも打ち明けあい、男として戦士としてはライバルであり、人としては友で在り続けたかった。
復讐の道のはずが罪の道となり、主を、師を裏切り滅ぼした。闇を極め、光を認めた。
もう二度と闘えないというあの男が、この後どう生きるのか聞きたかった。
そして自分がヒュンケルに同情していたのだとやっと思い至った。
だがヒュンケルは気付いていた。知って、心のある部分でラーハルトを受入れ、ある部分でそれ以上の侵入を拒んだのだ。あの夜の、それが答えだった。
「……馬鹿はおれだ」
ラーハルトは、再び宿場への道を歩き始めた。せいぜい半日少々の間に、この道を行ったりきたり滑稽なことだ。足を早めながらラーハルトはひとりごちた。
宿屋に戻る頃には、おそらくヒュンケルの姿はそこには無いだろう。それは確信としてあった。だがあの部屋へ戻らなければならない。
ヒュンケルがそこにいないことを確かめもう二度と戻ることはないだろう昨日の自分を確かめ、ヒュンケルを追わなくては……。
一度見矢ってしまった姿はすぐには見出だせないかもしれないが、追いつくのに長い時をかけねぱたらないということもないだろう。
別に時間がかかっても構わない。聞きそびれた言葉を聞きに行こう。
ヒュンケル、おまえの声を。