A God Field of River

あなたの優しさが俺を殺す


 
「そんなものダメに決まっているだろう」
「なんです!その言いぐさは」

呆れたようにため息と混ぜて返された言葉に、アバンが責めるような返事をしたのはそれなりに傷ついたからでもある。
熟考の末の決断をあっさり否定されたのではむかっ腹が立つ。
そうは見えないだろうが、気苦労も多いのだ。
この年若い恋人に対しては。
齢30半ばも過ぎて得たパートナーは、10歳も年下の元生徒で同性。
そう能天気なばかりでは立ち行かない関係だ。
アバン自身よもやこんな位置にお互いが立つことなど想像だにしなかった。いや、予感がなかったわけではない、だがけして生きて交わらぬ運命だと思っていた。 自分も受け入れることもないはずだった。
だが2人は手を取った。
さまざまな奇跡が、あるいは悪魔の恩恵が後押しをしたとしか思えない。
それでも最終的に選んだのは自分自身だ。
なんの言い訳もない。

―― ヒュンケル一緒に暮しましょう。

だから考えた上でヒュンケルに告げた。拘束するつもりはないが、触れあう時間を大切にしたいと思ったし、けじめでもあると思った。
この関係を求めたのはヒュンケルの方からだったからだ。
アバンの知る幼い教え子ではもうなかった。再会した時の彼は立派ななりで、自分の過去と過失に向き合うことを選んだ男だった。それでもその時はそれ以上はなく別かれた。
三度出会い手をのばしたヒュンケルを受け入れてからも、2人の生活はあまり変化がなかった。
ヒュンケルの方はあるいは変わったのかもしれない。だがヒュンケルはアバンに側にいろとは言わなかった。
ヒュンケルがアバンの元へ訪れることはほとんどない。あっても仕事のついでというスタンスを崩さない。ヒュンケルはアバンの周囲に2人の変化した関係を知らせるつもりはないようだった。
それはそれで普通なのだと思う。なにも好んで波風を立てることもない。もともと祝福を得られるような関係ではない。
多分一般的には師であり年長である自分が、弟子をたぶらかしたとなるんだろうなぁ……アバンは少々複雑な気持ちでヒュンケルとそんな会話をしたことがある。

「なに、俺の素性を知れば、魔王軍あがりに乱暴されたがあんたは慈悲ぶかくて抵抗できない、とでもなるさ」

と気もないように、眠たげに答えたヒュンケルに、それもありうると内心怖れた。
人の心は薄情な噂話に責任をもとうとはしない。
だからアバンは表見以前のスタンスを崩さないヒュンケルに、特に不満も抱かなかった。
ところがそれはアバンの解釈違いだった。
瞬間移動呪文が使える分、アバンがヒュンケルの元へ通うことが自然多くなった。
ヒュンケルはベンガーナの城下町のはずれに小さな家を借りていて、王宮やそれに類する屋敷に住まいをかまえるアバンにくらべ周囲に気兼ねないこともある。
その周囲や仕事で多くはないが人との関わりもある。ヒュンケルは積荷の護衛を主にした傭兵のようなことをしていた。
ヒュンケルはそれらの周囲にアバンの存在を隠さなかった。
もちろん自分から進んで広めることもなく、アバンの素性こそあいまいに『学者センセイだ』としか言わなかったが、(実際アバンは政治などの一線からはさがって、研究や書物の編纂などに携わっていた)尋ねられればはっきり特定の関係であることを明かし、あまつさえ『手を出すなよ』などと、アバンを憤死させるようなことを真顔でのたまっていた。
アバンはあの頃のいたたまれない気持ちを、一生忘れずにいるつもりだ。
言われた相手のなんとも複雑そうな表情……はっきり『そんな趣味はない』と否定してくれる相手ならばいいのだ、笑って済む。
だが、妙にいたわるような、憐れむような目で見られるなどという経験は、生まれてこのかたされた事がなかった。
何度「そんな馬鹿はお前だけだ!」とヒュンケルに、2度目の最大奥義をかましたくなった事だろう。
10代の少年時代ならいざ知らず、30も半ばを過ぎたオッサンに誰がそんな気を起こすのだ。
実際ヒュンケルにそう言うと、心外だという表情で(とは言っても、ちょっと見変わり映えのしない顔で)

「俺は稚児趣味はないぞ」

と真剣にこたえてくれたものだ。
めまいのしそうな成り行きを経て、それでもアバンはなんとなくヒュンケルの怖れるものを知ったような気がした。
ヒュンケルは『アバン』という名を汚すであろうことを怖れているのだ。
だからアバンを取り巻く世界には明かさず、ヒュンケルの……アバンを知らない周囲にはためらわないのではないか。
以前体裁を繕ったように思えたヒュンケルの行動には感じなかった、ささやかな喪失感のようなものがアバンの心の隅に降った。
剣を向けられた時でさえ感じなかった『裏切られた』ような気分だった。
あれだけ傍若無人に『アバン』という殻を叩き割った人間が、今更なにを惜しむのか。
だが同時に自分のせいかもしれないとも思った。
ヒュンケルとの関係を知られたときに、アバンを『先生』と慕う子らは、再び尊敬の念で接してくれるだろうか。王宮の仕事仲間たちは同じ笑顔で接してくれるだろうか。
彼らを侮っているわけではない、多分どうあれアバンを否定するようなことはしないだろう。
だがその瞳に、あのいたわりや憐れみを見てしまったら自分は傷つくだろう。

そういったさまざまな思惑で、このところアバンは自分でも沈みがちなことが判っていた。
だからここで答えを出すべきだ、と思った。
殻を壊したのはヒュンケルだ。ならば私はその是非を答えてやらねば。
もとより2度手放すくらいなら、最初から許したりはしないのだ。

「なにが不満なんだ、そんなに部屋も汚れていないだろうが。掃除しているぞ、あんたが来ない時でも」
「だれがおさんどんするために同居しようなどといっているんです!」
「違うのか」
「違うに決まってるでしょう……」

そんな一世一代の決心を、なんで言いぐさだろうかこの男は。
食事も終え食器を片付けたあとに、二人してテーブルでお茶を飲んでいた。
アバンは向かい合って座っていたヒュンケルの片手を、テーブル上でそっとつないだ。

「あなたはいつか私を手放すつもりなんですか」
「……」
「でも私は2度と手放すつもりはないんです。もう十分私たちは別れて過ごしました、違いますか」
「だが多分必要だったんだろう」
「でももうためらうことはないでしょう。ただでさえ私たちはそれぞれに役目をもっていますし、ささいな時間も大切にしたいんです」
「……」
「あなたが……私を思いやってくれているのだろうと言うことは分かります。その上でのプロポーズですよ、これは」

最後はおどけたような口調だったが、目は笑っていなかった。
ヒュンケルは少し驚いたようにアバンを見たが、つぎには軽く握られていた手を握り返し強く自分の方に引いた。その力の強さにアバンはテーブルの上のティーカップを倒さぬよう、慌てて手をつくと引かれるまま逆らわずに立ちあがった。

「何を察していると」
「あなたが壊した『アバン』はもう元に戻りません、私自身がそれを許したんですから。最初から少し違和感があったんです、あなたはもっと独占欲が強いように思っていたのに、私の周囲ではまるでそれを出さなかった」
違うなんて言わないでくださいね、こちら側ではずいぶん私に居たたまれない思いをさせてくれたのを忘れたとは言わせませんよ。」
「……」
「……もしあなたが私との関係を隠したいと思っているなら、それでもいいと思ったんです。でも違うんでしょう」

ヒュンケルは極近くで見合っていた視線を外すと、ため息をついて手を緩めた。
自分も半ば立ちあがりかけていた姿勢を椅子に戻す。アバンはゆっくりとテーブルをよけてヒュンケルの側に立った。
そっとヒュンケルの低い位置にある頭を、撫でるように髪に指をからめて梳いた。

「俺は……ずいぶんあんたを傷つけた。名誉も、気持ちの上でも。だからこれ以上たしかに傷つけたくないと思ってる。でもそれだけじゃない」

ヒュンケルはアバンの腰に腕をまわすと、そっと頭をもたれかけた。
こういったいかにも甘えてるという仕種は、あまりしないのでアバンはそのまま肩を抱いた。いつもこんな風に甘えてくれればかわいげも増すのに、と思ったが声には出さなかった。

「それだけなら、あんたを守る自信がある。必要ならば命も捧げる。―――以前、言ったことがあるだろう、『魔王軍あがりが乱暴をしたと思われる』と。本当にそういうことにしたってかまわん」
「本気で殴られたいんですか、そんなこと私が許すとでも」
「無視だ、当然」
「ヒュ〜ン〜ケ〜ル〜」

かなり本気でヘッドロックをかましつつ、耳を引っ張るアバンに、ヒュンケルの肩がかすかに揺れた。声は聞こえないが、笑っているらしい。
"ギブアップ"の印に、かるくアバンの肘のあたりを2度叩いた。

「たぶん怖いのは俺自身だ」

アバンが腕を緩めると、ヒュンケルは顔を上げた。
色の薄い白銀の目が、まっすぐアバンの瞳を射る。かつてアバンがある種の畏敬の念とともに、さまざまな情感を鏡のように映し見た瞳。瞳孔の部分だけが淡い紫炎をはらむ、獣のような。

「そんな風に……あんたの帰る場所を取り上げてしまったら、俺はもう2度と手放さない。先生、あんたはよく判ってる。でもきっと考えるよりもっと酷い。俺はあんたの何もかも を喰らう、あんたが俺から心を離しても許さない、逃げても捕らえる、生まれ変わっても追いかける。血も肉も魂も」

囁くような告白をアバンは息を詰めて聞いた。絡み合う視線を逃せない。

「永遠にかわらないものなんてありえないだろう。そうなったら可哀相だ、あんたも俺も」
「……」

ヒュンケルの肩に乗せていた掌は、じわっと汗ばんでいた。その両手でヒュンケルの頬を包んだ。その熱が伝わるように。

「……凄い告白」

ほう、と息をついで鼻先が触れ合うほどに顔を寄せた。

「ねえ、分かりますか?あんまり凄いんで感じちゃいましたよ」
「アバン……」

ゆっくりと唇が降りてきて重なった。抱きとめた体の熱。

「それで?ヒュンケル。……あんまり」

アバンの手は頬から耳を辿って、首筋を伝い、その流れに瞬間力を込めた。 そのまま爪を立てるようにして衣服の肩口から素肌を探る。

「俺を甘くみるなよ」

その言葉にそぐわないような明るい笑みをのせてアバンが宣言すると、ヒュンケルも苦笑してその唇に答えた。


 

 

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