手
その手をあたためたかった
カール王国の歴史は古い。そのカールの騎士団もまたしかり。
だが古式ゆかしい体制を維持する一方で、実力に見合った登用もさかんな、活力の衰えぬ騎士団だった。
堅苦しいが、形式はまだ形式だけのものではない。だから俺のような単純直情な男でも勤まる。
ロカは目の前に広がる夜の暗さと、離れた城下町の灯りを眺めながら、白い息の消えてゆく先を眺めた。
今年の春に入団したばかりの、準騎士の仕事は多い。1日の時間はいくらあっても足りない位だし、業務に加えて鍛錬や行儀作法といった習得しなければならないことも多い。
ロカのように城下町からも離れた片田舎の村から、上京してきた人間ならなおさらだ。
ああ、だが例外もいるな。
ロカはちらりと、自分の対になるように、門のもう方はじに立つ準騎士を見た。
淡々とした表情を崩さず、じっと背後の城を守る門番の役に徹しているように見えるアバンも、また城下町から遠い黒の森から来た少年だった。
「黒い森」に人が住んでいるなどとは、ロカはアバンに出会うまで考えても見なかった。
黒い森は不用意に奥へ入ると二度と出られない、というウワサがあった。
もっとも「黒い」などという名前のイメージのせいもあるだろう。
よく近くの森で遅くまで遊んで帰らない子供に、よく親は「あんまり遊んでばかりいると、モンスターがさらいに来て、黒の森につれていかれてしまうよ」などと脅したものだ。
そんな話をするとアバンに笑われた。
「そんなに森の中じゃないよ」
だいたいどこの森だって、奥地に入ればモンスターのいることは多いじゃないか。
たしかそれがはじめての会話だったように思う。
しかしロカと違って、アバンにはどこか垢抜けたところがあった。
テーブルマナーにまごつくこともないし、先輩騎士たちのまえでも、物怖じするような様子もない。ひかえめな態度を作っているが、たぶん地方貴族のような家庭だったのだろうと予想させた。
予想させたというのは、春の入団から今現在の冬に至るまで、お互いの家庭や家族の話題をしたことがないからだった。
いや、アバンのほうは、というべきだろう。
アバンはふと思い至らなければ、疑問にもならないほど、自然に、しかし自分にまつわる話を周囲にしなかった。
なにかが周囲のロカ自身を含めた少年たちとは違っていた。
それを感じた自分をロカは意外に思う。自分はそんなに心配りのこまやかな方ではないと思っていた。
それがふとした折りに、アバンのはったラインを感じることがある。
再びちらりとアバンに視線を流すと、さっしたように、アバンがロカに声をかけた。
「そろそろ時間ですね」
城には3箇所の出入り口があり、夜も交替で2人4組が見張りがつく。
1時間1箇所の門番を過ごすと、交替の2人がやってきて交替する。そこから見回りもかねて次ぎの門へと移動し、そこの詰め所で用をたしたりしてから次ぎの門番と交替する。
それを3個所順次勤めると、1時間仮眠なり休憩なりをとれる仕組みになっている。
このサイクルをもう1度過ごすと、夜番は終るのだ。
アバンとロカは交替の人員がくると、次ぎの門へと向かった。アバンの手に持たれたカンテラの火が暗い城壁に揺れた。ずいぶんと冷える夜だった。
2人は次ぎの門の横手に作られている詰め所に入る。
暖炉はたかれていないが、それでも屋外のような風がないだけましに思えた。
アバンは暖炉に寄ると手をかざす。すぐに火がついた。
「何にします、ココアでいいですか?私はミルクココアにしますけど」
「甘そう」
「あったまりますよ?少し匂いつけてあげます」
「匂い?」
ロカが首をかしげると、アバンは腰のポーチから小さな瓶をとりだした。
「おい」
「酔っ払うような量じゃないですよ」
もちろん勤務中の飲酒はもってのほかだ。しかし、ロカは飲む飲まないというよりも、そんなものを携帯しているアバンが意外だった。
「砂糖もいれないでおけば」
言葉通り自分用と思われるカップには、ロカが目をそらしてしまう量の砂糖を投入しているが、もう片方のカップにはカカオの粉末だけを入れいている。さらにロカの方にはブランデーを入れるということだろう。
使い古したミルクパンで暖められているミルクの端が、かすかに泡立とうというところで、アバンは火から下ろすとカップに注いだ。
2人は立ったままでカップを口に運ぶ。ブランデーの香りを立てる、ミルク風味の甘くないチョコレート色の液体は、美味しいのかそうでないのか、ロカにはよくわからなかったが、たしかに冷えきった身体は喜んだ。
つめた過ぎる顔に当たる湯気が冷やされ、すこし湿り気を帯びて肌をおおう。
アバンを見るとかけた眼鏡があっというまに真っ白く曇った。
「ありゃら」
眼鏡をはずして、あらためて両手でカップを覆うように持つと、アバンは想像するだに甘いココアを目を細めて飲みはじめる。
眼鏡がないと女みたいな顔立ちだな、と、バレたら報復の恐ろしそうなことをロカは考えながら、壁に寄りかかてカップを傾ける。
随分長いまつげだ。湯気に濡れて重そうだ。
今はほとんど伏せられて見えない蜜金色の瞳も悪くない。フチの太い眼鏡でぱっと見印象が薄いが、けっこうな美少年だ。
もったいないな、目が悪くなければ。と考えて、すぐに当分支障はないかと思いなおす。従騎士は外出も自由にはできない。彼女を作ってる暇などとうてい無かった。
「……手」
「なに?」
暖をとるようにカップを両手でつつむ、その手に注視させられる。
ほっそりとした成りと、少女のような顔立ちには似合わない手だった。
短く丸い爪と指先の形、節の立った手だった。今は隠されている掌には、剣ダコがあるだろうと予想させる使いこんだ手だった。
そこだけがアバンの中で、荒れた硬い印象をしている。
ロカははじめてそれに気づいた。よく見えるはずのものなのに、思い返してみると像を結ばず、先入観のような柔らかい綺麗な印象を持っていた。
それはロカを驚かせた。
そして漠然とアバンの隠しているものは、こういうものかもしれない、と思った。
硬い意志、荒れた厳しい何か。
――― さわりてぇ
がらにもなく、気にかけていたものが判ったような気がした。
誰ともそつなく、明るく、柔らかく接するアバンの、隠された硬いなにか。
いつかそれに触れさせてもらえるだろうか。
あの硬い手を握れるだろうか。
そしててらいなく、友達だと言える日が。
自分はこの仲間が好きだ。
「とりあえず」
なぁに?と首をかしげるアバンを眺めて笑った。
「デコに眼鏡かけんのはやめろ」
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