油と火

火に注がれるのではなく。そこに灯される熱


 
ちょっと試したいことがあるから。
 
そういうスタンスでヒュンケルが、アバンにいじられることはよくある。
けれどヒュンケルが「ちょっとよろしく」などということはめったにない。
良くも悪くも、人に「頼む」などということは論外と思っているふしがある。
世の人はそれを水臭いともいうし、謙虚だとも言う。
ちなみにアバンは面倒くさがり屋と評している。ヒュンケル自身はアバンの意見が、流石にいいえていると内心思っていたが、それを口にしたことはない。
 
「試してみてもいいか」
 
仕事に追いたてられて、やっとたどりついた夢の寝床になついて、いたところに珍しくひょっこりとヒュンケルが現れた。
片やパプニカで政務を、片やベンガーナを中心とした商隊の用心棒を職業にしている2人であるから、そうそうゆっくりとした逢瀬を持つことはなかったが、瞬間移動魔法の使えないヒュンケルがアバンをたずねることはさらに少なかった。
あまりおおっぴらにしていない関係でもある。
 
「ちょうどいいな」
「……疲れ果てたおじさんをつかまえて、なにがちょうどいいんです。言っときますが、今日はたぶんマグロを通り越して使いものになりませんよ」
「それがちょうどいいんだ」
「……」
 
いや!なに、いたいけなおじさんを捕まえてズコズコ出来ればいいっていうの!?何よ、どんな変態プレイも思いのままってわけ?酷いわ!あなたがそんな人だったなんて!離婚よ!!
いつもならそれくらいのしょうもない軽口で、ヒュンケルをなじるところだったが、本当に疲れていたらしい。その憎まれ口はアバンの内心だけで不発に終わった。
その間にも履いたままだったブーツを引きぬかれる。むくんだ脚が空気にさらされて気持ちいい。
 
「……どうも」
「本当に疲れているんだな。めずらしい」
 
疲れなど表にださない男である。どんなに忙しくても、優雅に茶を飲み、冗談をまぜた口調を崩さない余裕を演出しまくる性質なのだ。
上等の上着を自分の汗と体重でプレスしたまま、よだれをたらして眠りこけそうな姿など他人に見せるはずも無い。
この状況はそれだけ許されていると、うぬぼれていいものか。まあいいだろう、思うだけなら害はない、とヒュンケルは自問自答しつつも作業を続けた。
手足をすすぐのに用意されている水受けに、暖炉の石をふたつ三つと入れると、小ぶりな桶の水はすぐに熱くなった。
タオルとともにベッドまで移動すると、アバンを剥きはじめる。ダテ眼鏡をぞんざいに放るとマントを外し、上着を脱がせて引き寄せた椅子に掛けた。
ベルト、ズボンとたどってはその上に積む。随分重そうなのは、あいまにヒュンケルのものが積み重なっているからだ。
絞った熱いタオルでアバンの身体を拭う頃には、ヒュンケルもズボンだけといった姿になっていた。部屋は暖められていて、さして寒さを気にするほどでも無い。
 
「きもちいい……」
 
汗を拭われてさっぱりした上に、濯ぎ暖めなおされた熱いタオルを首筋にあてがわれて、うっとりとアバンは声を漏らした。
支えられた腕におとなしくおさまったまま、薄く目を開くと、かすかに笑いを含んだヒュンケルの目に覗かれる。
まぶたを閉じて、気持ちあごを上向かせると、意図にたがわず乾いた唇が降りてきた。ついばみあい、絡めあう。息をつぐと、目を合わせたまま再び重ねあわせた。
 
「トラブルでもあったのか」
「ない日はありませんよ」
 
アバンは重い腕を上げると、ヒュンケルの頬から首筋をなぞってそのまま腕をからめた。
 
「大丈夫、一段落したところです」
 
ヒュンケルの掌が脇を撫でる感触に目を細める。ため息が漏れる。
 
「残念」
「なんだ」
「欲しいけれど、すぐに寝そう」
「もう少しまて」
「ひゃっ」
「あ、すまん。暖めるのを忘れていた」
 
胸をつたう冷たい感触に、アバンがびくりと体を縮めると、乾いた掌が液体を包むように胸を覆った。
すぐにアバンの肌とヒュンケルの掌とで暖められた液体が、その手で胸元から肩、首筋と広げられていく。
ほのかな花の香りと、さらりとした重い液体が不快感なく肌に馴染むのを感じた。
 
「……ずいぶん上等なオイルじゃないですか」
 
掌の離れる感触に、アバンがまぶたを開いてヒュンケルを見上げる。
先ほどはその作業を忘れたのだろう。新たなオイルを掌を合わせて暖めているヒュンケルにため息をついた。
再び降ってくる掌が、固く凝った筋肉をほぐすように、緩急をつけた力加減でオイルを塗り広げていく。アバンの肌にすんなりと馴染む液体が、体温に香りをふくませて立ち上る。ほのかな、嫌味のない香りだ。
 
「薔薇?……甘過ぎない、いい香り」
「そうか、ホワイトローズとなんとか、とか言っていたな。いろいろ説明してくれたが覚えられなかった」
「どうしたんです」
「もらった」
 
手の感触にうっとりと閉じていた目を開けて、ヒュンケルを追う。太腿まで進んだ掌が、両手で揉みほぐすと喉から声が漏れた。
 
「ァ……ン、誰に」
「今回の仕事先のご婦人だ」
 
ぴくりと引きつる筋肉をなだめるように、ヒュンケルは掌を動かした。ふくらはぎをほぐし、足をたどる。ぴくり、ぴくりと身体を震わす様子に、喉の奥で笑う。その指先まで手が這うと、アバンはほそく深い息を吐いた。
 
「護衛の礼に、疲労を回復する効果のあるオイルを試してみないかと言って」
「こんなマッサージまで」
「こういう用法のオイルだそうだぞ」
「実演してもらったって?」
「ああ、こんなふうに」
 
ヒュンケルの指が、アバンの足指の股をなぞる。
 
「ああっ」
 
痛くも感じるその刺激が、予想以上の衝撃でアバンが鳴いた。
とっさに引こうとするアバンの足を逃さずに、ヒュンケルが指にわずかに力をたすと喉をつまらせるような呼吸が漏れる。
次の瞬間振り下ろされる腕をかわして、その腕を捕らえて反動を利用してアバンの身体を反した。
 
「えろガキー!!」
「妬けるか」
「誰が!私が大変なときに、イイ思いをしているのが腹が立つだけですっ」
 
そんな見え見えの下心のお誘いに、気付かなかったなどとは言わせない。うつぶせて押さえられたままアバンは唸った。
その間も頓着なく、ヒュンケルの掌はオイルを広げながら、背中を揉みほぐしていく。
抗おうとしてもその心地よさに、唸り声から怒りが抜け落ちそうになる。
こんなふうにヒュンケルの背中を、見知らぬ女性の手が触れたのか。
女性の掌にはほど遠い、ヒュンケルの固い手のひらをより鮮明に背中に感じる。
剣ダコでごつごつした、ふしの立った、けして綺麗ではない手だ。
ご婦人のように手入れされていない爪は固くいびつで、指先は丸くかさついている。
アバン自身の手も似たようなものだが、終戦後もっぱらデスクワークの多いアバンの机のスミにはマリンがくれたハンドクリームが鎮座している。
軍時代ほどではなくても、実戦に身を置いているヒュンケルの手よりはずっとやわらかい。それでもその婦人のような華奢な美しさはないだろう。
アバンの奥に熱が灯る。
ヒュンケルの掌に感じた。
 
「手だけだがな」
 
耳の後ろから囁かれるヒュンケルの声に、枕にうめていた顔をふりかえらせた。
上半身をすこし浮かせるために立てたアバンの腕をヒュンケルがなぞる。
その指先にたどりつくと、指の間に自分のいかつい指を挟みこませて握った。アバンの目がかすかに細められる。
 
「こうして手を取られて、オイルを塗られて。花の匂いなど詳しくないがな、白い薔薇の匂いだと言われたら」
 
高めようという意図を持ってまさぐる、細く柔らかい指の感触。花の香りと、その白い花弁をもつ花のイメージが。
 
「あんたを思い出して、勃ちそうになった」
 
直截な言葉にアバンの目が開かれる。やばかったな、と笑うヒュンケルに苦笑した。
 
「それでどうしたんです」
「どうもこうも」
「どうもこうも?」
「恋人と試してみようと言ってありがたく頂戴した」
 
その足でここへ来たというヒュンケルに、アバンは笑い出した。
 
「酷い男」
 
アバンの揶揄にヒュンケルは肩をすくめる。
 
「あんたは?」
「私?私はやさしいですよ〜」
「どうだか」
 
自分の身体に落されたオイルを掌に含ませると、アバンは後ろ手にヒュンケルの前を探った。合わせを探りあてると、手を差し込み半ば熱くなったものに指をからめる。ヒュンケルが息をのんだ。
動きを止めていたヒュンケルの片方の掌が、尻たぶを揉む。アバンは細く息を吐いた。
 
「……奥へ」
 
囁かれる声は誘い。そのいびつな指が、侵し入る感触にアバンは小さく高く鳴いた。  

 

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