指先の触れあう幸運
感謝したくなるということ
気だるく、甘く、生々しい小さな空間に浸りながら、アバンはそっと目を上げて間近にある顔を覗いた。
汗と熱で湿ったベッドのなかはそれでも不思議と、そう不快なものではない。それも特別なのだろう。
「ねえ、ヒュンケル。明日は何の日か知ってますか」
「……クリスマスイヴ」
「へぇー、知ってるんですね」
予想外にためらいなく返された答えにアバンが素直に言葉に出すと、ヒュンケルはそっとアバンの背を撫でていた手を休めた。
「意外か?」
「イメージとしてはね、あなたはそんなお祭りには頓着しないと思いますよ、大抵の人間は」
まあ、それが普通の自分に対する認識だろう、とヒュンケル自身も思っている。しかし頓着しないことと、知らないことは同義ではないと思うのだが……。
素直にそう言葉にすると、アバンもくすくすと笑い出した。
「そりゃそうですね。だけどあなただと、それもアリかと思ってしまうんですよ」
「やれやれ」
笑いながらさらに腕の中に深くもぐりこんで、体を寄せるアバンに、休めていた背を撫でる手をゆるく動かした。
気が向けば毛皮を撫でろと要求する、猫のようだとぼんやり思う。今にも喉を鳴らす音が聞こえてきそうだ。
「何かしたほうがいいか?」
ずいぶんと範囲が広い。クリスマスにつきもののプレゼントか、七面鳥の丸焼きか……ヒュンケルの知っている常識的な範囲内でも、この年中行事にはイベントがぎっしりでアバンが何をさしているのかがわからない。
「……そうですね、実はひとつせしめようと思っていることがあるんです」
アバンは猫が伸びをするように、抱かれていた上半身をおこして、ヒュンケルの頭の両側に腕をつくと顔を覗きこんだ。
ヒュンケルが眉を寄せる。ただでさえ食えない性格のアバンが、こんな前振りをするのだから、どう考えてもヒュンケルの嫌がることにちがいない。
「言葉が欲しいんです」
「……」
「ねえ、ずっと聞いてみたかったことがあるんです。応えてくれますか?」
「……内容による」
「それじゃダメですよ、教えてくれませんからきっと」
「そう思うんなら暴き立てるな」
「いいじゃないですか、安上がりなプレゼントでしょう」
「"ただより高いものはない"と言うそうじゃないか」
あーもう、減らず口ばっかり上達して。と憤慨するアバンに、誰のせいだとまぜっかえす。
ほんとに誰のせいだか。
こんな風に慣らされた自分から、また何を毟り取ろうとするのか。この男は。
「……判った。努力しよう」
「努力ねぇ」
「そのへんで折れろ」
これ以上、あんたばかりで俺を埋めつくすな。そう胸の内だけでヒュンケルは囁いた。
抱きしめて、奪っているのは自分のはずなのに、奪われているのは自分のほうだとヒュンケルは思う。満たされているのは自分だと。
「まあ、いいとしましょう。……もしあなたがハドラーより先に私にたどり着いてたらどうしましたか?あの時点なら、間違いなくあなたは私をた易く葬れた」
はっとしてヒュンケルは自分を覆い被さるように覗きこむアバンに視線をあげた。見下ろす目は言葉の軽い調子に反して、静かで真剣な光を湛えていた。
「……」
「答えづらいですか。では二択にしてさしあげます。―――私を殺そうと思った?それとも私に殺されたかった?」
「……それは二択になっているのか」
「全然ちがうでしょう?それなのに同じに聞こえるんですか?……それは同じ感情が元になっているから?」
「アバン……」
「ダメですよ」
横向いていたヒュンケルの体を仰向かせると、アバンは全体でそれを押さえつけた。
なだめるようにヒュンケルの掌が、アバンの頬を包むが、いやいやをするように首を振ってそれを外した。
「答えて」
ヒュンケルはアバンの動きを封じるように、両腕できつく抱きとめた。力技ではもはやアバンでは対抗できない。かつての幼い教え子の姿のヒュンケルが、一瞬アバンの脳裏を掠めて走り去った。
「判らない、……本当に。あのころは自分の感情に目を背けていた。感情を拭い去れない自分に失望もした。だから本当にどうだったかなど……判らない。
「だが今は判っているつもりだ。あんたと"生きて" いたいんだ。それではダメか」
抱きとめられて、直接耳元に吹き込まれるように囁かれる告白をアバンは目を閉じて聞いていた。
冷たい外見の印象を裏切る熱い体。自分と同じように脈打つ鼓動。触れ合う指先の、じんとしびれるような陶酔。
こうしてただそっと抱きしめられるたびに、全身の神経が剥き出しにされるようにこの男に向かって鋭敏になる感覚を、思い知らせてやりたいくらいだ。等しくこの男の何もかもを暴いて。
アバンは熱く涙がにじみかけたまぶたを、見られない幸運に感謝しながら、不自然にならない程度の動きで枕に押しつけた。
「……まぁ、合格としてあげます……ただしちゃんといって。どうして一緒に生きていきたいのか」
再び覗きこんだアバンの目には、涙の影はまるで感じられない。
苦々しい顔で黙りこんだヒュンケルを突つきながら、アバンは笑った。
珍しく目元に朱を刷いたヒュンケルが、ゆっくり口を開いて言葉をつむぐのを見つめた。
年にいちどの"許された"日なのだから、望みを叶えてくれたっていいでしょう?
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