■■判決主文
「主文」と「請求の趣旨(原告が求めた主文)」は同一。
(原告の請求額がすべて認められている)。
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■■前提認定事実
被告病院(以下,「Y病院」という)には,PCIをするための医療設備及び医療スタッフが存在せず,PCIをすることができない。
Y病院からPCIをすることができる近医(T市民病院等,SK病院)まではは20分程度。このほかHJ病院もあった(以下,「三病院」という)。
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Z医師は,非常勤医の日直で,消化器内科が専門。医師資格取得から約5年目。
当日の日直医は4名。内科はZ医師のみ。内科の外来担当看護師は2名。Z医師は,同日,内科における約100名の入院患者と緊急外来患者の診療をしており,多忙であった。
本件患者は64才男性。軽度の肝機能障害,痛風,高脂血症,糖尿病のため,Y病院を掛かり付け医として利用していた。
平成15年3月30日(日曜日)昼12時ころ,自宅で発作。家族がY病院に電話し,Y病院看護師が「心筋梗塞と思われるのですぐに来院するように」と指示。ただちに家人はY病院に連れて行き,12時15分,Y病院に到着。
12時30分ころまでの間に,心電図検査がなされ,心電図上,II,III,aVfにST上昇が見られた。Z医師は,本件患者を問診し,11時30分ころから胸痛が持続していることを聞いた。
12時39分,Z医師は,心筋梗塞を強く疑い,採血オーダーを出した。Z医師は,本件患者が急性心筋梗塞であると判断したが,直ちに上記三病院の一つに転送するための行動はとらなかった。
12時45分,ソリタT3500mlを点滴してルート確保,13時3分ミリスロールを点滴開始。本件患者の血圧は150/96で,胸部圧迫痛は持続していた。
13時10分過ぎから,12時39分の血液検査オーダーとは別途,Z医師自らトロポニン検査を実施したところ,心筋梗塞陰性との結果を得た。
13時40分,12時39分の血液検査の結果が出て,心筋梗塞陰性だった。
13時50分,Z医師は,転送を決定し,T市民病院に転院の受入れを要請した。
14時15分ころ,T市民病院から受入了承の連絡を受けた。
14時21分,救急車の出動を要請した。
14時25分,救急車到着。本件患者は,内科処置室の被告病院のストレッチャーの上で点滴を受けており,意識は清明。
14時30分,救急車のストレッチャーに移す際に意識喪失,呼吸不安定。ストレッチャーに移された直後に徐脳硬直が見られた。それまでモニターは装着されていなかったし(裁判所の認定。この点については,被告側はモニターは装着していたと主張 *後述),容態急変の直後にもモニターは装着されていなかった。
Z医師は,これをみて,脳梗塞を合併したと疑い,救急隊にCT室に運ぶように指示したが(裁判所から「理由は不明である」,「不可解な行動」と評されている),CT室に着く前に自発呼吸まで消失したので,蘇生のため処置室に戻した。
14時47分,エピネフリン投与。援助を求められた別医師が気管挿管。
15時36分,死亡確認。なお電気的除細動は一度も行われていない。
死亡原因は,急性心筋梗塞の合併症として発症した心室細動(裁判所による認定。被告側は,心破裂,脳梗塞,急性大動脈解離等の可能性もあると主張)。
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* モニタ装着についての裁判所の認定
「Z医師は,問診後,継続的なモニタリングをしていたと主張し,Z医師の証言,診療録の記録および診療報酬請求書にも,その主張に沿う部分がある。
しかしながら,診療報酬請求書の記録によると,・・・・これは本件患者来院時間から死亡時間までの時間すべてに相当するものであって,実際に装着していた時間を記録したものとは考えにくく,後になって来院した時刻と死亡した時刻をもとに算定した時間を記録したものとみられ,その間に継続的なモニタ装着がなされていたとの事実を裏付ける証拠としての証明力は低いものといわざるを得ない。
また,診療録の記録を見ても,Z医師が行った処置や本件患者の容態を記載した部分には,モニタを装着したことやモニタから得られた結果は記載されていない。診療録には,Z医師が本件患者の死亡後,家族に対し,モニタを装着していたが安定状態であった旨の説明をしたとの記載があるだけで,モニタ装着の有無及び時間を直接示す書証は見当たらない。
さらに,本当に継続的にモニタリングがされていたなら,容態急変時にモニタを再装着することは極めて簡単な作業であったと思われるし,急性心筋梗塞の患者が突然意識を失う場合,心室細動がもっとも疑われるのであるから,心室細動の有無を確かめるためにもモニター再装着は不可欠であったと思われる。
ところが本件では,モニターの再装着は一度も行われていないのであって,この点からも継続的なモニタリングがなされていたという点には疑問が生じるところである。
こうしてみると,証拠によって,いつからいつまでモニタ装着がされていたかを認定することは困難であって,前記認定の事実経過では,その点の事実を認定していない。」
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■■原告の主張する,Y病院の過失
(1)転送義務違反
急性心筋梗塞の最善の治療法はPCIである。Z医師が心電図検査の結果を得たのは12時35分ころであり,直ちに近隣の専門病院であるT市民病院,SK病院に転送すべき義務があった。しかしZ医師が転送受け入れを要請したのは13時50分で,その後の転送手配も緩慢であったため,14時25分に救急車が到着した。
(2)不整脈管理義務の懈怠
心電図モニタによる持続的な不整脈関し,またはCCUに準じた看護師による持続的な血行動態の監視をし,期外収縮が発生すれば,抗不整脈薬リドカインを静注しなければならず,心室細動が生じるに至った場合は,直ちに電気的除細動をしなければならない。
→ これについては裁判所は判断せず。
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■■ 転送義務違反について
■ 被告の主張(1)
SK病院,T市民病院に転送要請するためには,心電図検査のほか,血液検査の結果を備えることが事実上求められていた。Z医師が血液検査の結果が出るまで転送措置を開始しなかったことはやむを得ない。
「原告らは,Z医師が心電図検査の実施直後に転送義務を負っていたと主張する。
しかしながら,当日は日曜日であり,被告病院近隣の専門病院はいずれも休診日で,転送を受け入れるためには,休息中の多数のスタッフを緊急に呼び出さなければならない事情があったから,被告病院としては,それら病院に配慮し,自己の施設で可能な基本的検査を実施すること,すなわち心電図検査及び血液検査の結果を添えた上で転送要請することが事実上求められていた。そして,同地域において病院間の協力態勢は確立されていなかった。
そこでZ医師は,血液検査の結果を得てからでないと転送要請することはできなかったのであり,心電図検査実施直後に近隣の専門病院に転送要請することは困難であった。」
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■ 裁判所の認定
「SK病院,T市民病院から,転送要請するため血液検査が要求されていた」との事実を認めるための証拠がない。
なお,平成15年3月30日午前1時30分(本件前夜),Y病院に来院した患者(本件患者とは違う患者)がおり,Y病院の当直医は心筋梗塞を疑ってSK病院に転送要請したが,SK病院は,知らされた所見・症状から心筋梗塞と認めず,これを断ったことがある(この患者は,当直医によってミリスロール点滴が続けられたが症状は改善せず,同日4時30分ころHJ病院に救急搬送された)。しかし,この患者は,ST上昇があったが,心筋梗塞に典型的な症状ではなかったのであって,血液検査の未了を理由として転送が断られたものではない。
また,本件でも,Z医師は13時50分ころ,血液検査において陽性の結果を得ることなくT市民病院に転送の受け入れを要請し,その承諾を得ていることからみても,血液検査の実施が必須であったと考えることは困難である。
(以下,判決文のまま)
「そもそも急性心筋梗塞の治療において最重要なことは,できるだけ早期にPCIを実施することであり,SK病院やT市民病院が24時間の急性心筋梗塞患者の救急受入れを実施しているのもそのためである。そして,心筋梗塞の急性期における血液検査が無意味であることくらい,そのような専門病院はよく理解しているはずであって,そのような専門病院が,心筋梗塞に典型的な心電図所見や臨床症状がみられる患者について,さらに血液検査の実施を要求するとはにわかに考えられないし,そのような要求が常態化しているとの不可解な地域医療の実情があるとも考えられない。上記両病院とも調査嘱託(※注 訴訟当事者からの申し出により,裁判所から両病院に対して質問を送り,両病院がそれに対して回答したもの)に対する回答書で血液検査の実施を要求していないと回答しているが,これを不可解な地域医療の実情を隠ぺいするための嘘と考える必要は何もなく,医学的見地から当然に導き出される取扱いを素直に述べたまでと受けとめるべきである。
以上要するに,被告の上記主張は理由がない。」
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■ 被告の主張(2)
臨床の現場では急性心筋梗塞の疑いのある患者に対して全例において血液検査を実施している実情があるから,Z医師が血液検査の結果も添えて,近隣の専門病院に転送要請しようとしたことは自然であり,非難することはできない。
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■ 裁判所の判断
心筋梗塞発症2,3時間内においては血液検査の診断は無意味。「仮に,そのような臨床現場の実情があったとしても,患者の救命を第一に考えなければならない立場にある医師の転送義務を検討するに当たって,そのような実情を考慮することは相当でない。」
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■ そのほかの被告の主張に対する裁判所の判断
「なお,(被告側が依頼した専門医の意見書)によれば,Z医師は,転送要請に着手するまでの時間,漫然と経過観察していたわけではなく,転送を決める前に,本人及び家族に対し,PCIの得失について説明し,その承諾を得なければならず,そのための時間が必要であったし,同日の被告病院の配置人員に関する態勢や被告病院と専門病院との関係からみたZ医師の立場に立ってみれば,可及的速やかに転送することは現実の医療現場とはかけ離れた理想論に過ぎない旨の意見が述べれられている。
しかしながら,そもそも本件証拠上,Z医師が本人及び家族に対し,PCIの得失について説明しようとしたために,転送が遅れたとの事情は認められない。また,確かに・・・・認定の事実経過によれば,Z医師が極めて多忙であったことは認められるが,そのことが原因で本件注意義務を果たすこと(12時39分の時点で専門病院に電話をかけ,・・・・(本件患者)の症状と心電図所見を知らせ,転送受け入れを要請すること)ができなかったとも考えられないから,可及的速やかに転送義務を果たすことが理想論にすぎないともいうことはできない。」
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■ このほかの被告の主張
「Z医師は,13時50分ころにはT市民病院に転送要請しているのであって,平日であれば,本件患者は14時過ぎにはT市民病院に到着し,14時30分前にCCUに入室することが可能であったはずである。本件において転送の実行が14時30分ころになり,その途中で本件患者に異常が発生したのは,T市民病院における休診日の人的設備の限界によるものであって,これをZ医師の責めに帰すことはできない」
→ これに対する直接の裁判所の答えはない。
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■■転送義務違反と死亡との因果関係(裁判所の判断)
・・・・Y病院からT市民病院に転送要請の電話がされた後,受入れ了承の連絡がされ,実際に救急車が到着するまでの時間が35分であったと認められるところ,仮にZ医師が本件注意義務を果たし,12時39分ころに,転送措置に着手したならば,救急車が13時15分ころ,Y病院に到着していたと推認することができる。
そして,前記第2の1に認定したとおり,Y病院からT市民病院又はSK病院まで患者を救急車で搬送し,処置室に運び込まれるまでの時間は,約20分であると認められるから,本件患者が処置室に運び込まれるのは13時35分ころであると認められる。
前記・・・・認定の医学的知見及び調査嘱託の結果によれば,急性心筋梗塞患者を受け入れた専門病院としては,PCIが実施されるまでの間,CCUにおいて効果的な不整脈管理がされ,致死的不整脈が発生すれば,速やかに除細動などの救急措置が行われたであろうということができる。すなわち,本件注意義務が尽くされていれば,14時25分に心室細動が発生したのに電気的除細動さえもされないという最悪の事態を避けることができたはずである。
次に,・・・・認定の事実によれば,SK病院が平成15年2月から4月までの間の休日に他院から急性心筋梗塞の転送を受け入れ,PCIを実施した症例(4例)のうち,緊急MRI検査を実施し退室するまでもっとも長く要したのは3時間10分であったことが認められ,これら事実によれば,専門病院において,他院から転送を受け入れた場合,患者が来院してから,PCIの処置を完了するまでの時間は,特段の事情がなければ,長くても3時間程度であると推認することができる。
これらから,本件患者が13時35分ころにT市民病院又はSK病院の処置室に運び込まれていれば,PCIの処置を終えるのは,遅くとも16時35分ころであったとみるのが相当であり,仮にZ医師が本件注意義務を果たしたならば,本件患者は,11時30分に心筋梗塞発症後,約5時間後である16時35分ころには,PCIの治療を完了していたと推認することができる。
前記・・・・認定の医学的知見(※後述)によれば,再灌流療法は,発症から再疎通までの時間が短いほど効果が大きく,特に,発症12時間以内のST波上昇型の心筋梗塞であれば,再灌流療法のよい適応であるとされるから,Z医師が本件注意義務を果たしていたならば,本件患者は有効な再灌流療法を受けることができたといえる。
そして,前記・・・・認定の医学的知見(※後述)を総合すれば,急性期再灌流療法が積極的に施行されるようになってからは,病院に到着した急性期心筋梗塞患者の死亡率は10パーセント以下であるとみるのが相当である。
このようにしてみると,本件注意義務が果たされていたならば,本件患者は,併発する心室細動で死亡することはなく,無事,再灌流療法(PCI)を受けることができ,90パーセント程度の確率で生存していたと推認することができるから,Z医師の本件注意義務の懈怠と本件患者との死亡との間には因果関係が肯定される。」
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※ 判断の元となった,認定の医学的所見
原告から提出された文献。判決上は証拠番号のみ記載されており,具体的文献名は不明(平成14年4月発行。45〜57頁,122〜139頁等)
「急性期再灌流療法が積極的に実施されるようになり,急性心筋梗塞の死亡率は10パーセントを切るまでに低下したと報告されるようになった。しかし,多くの報告では,来院できた患者を母集団として計算しており,病院到着以前に死亡した例は含まれていない。
再灌流療法導入以前の院内死亡率は20パーセントであったのに対し,導入後は10パーセント又は5パーセント前後へと減少しているとされる)。
・・・・再灌流療法は,発症後12時間以内に達成される時に有効とされ,発症から再疎通までの時間が短いほど効果が大きいとされ,発症から治療開始までの時間の短縮が救命率の上昇と予後の改善に結びつくのである。
急性心筋梗塞治療の基本は虚血心筋の救済であり,早期診断・早期治療開始がポイントとなる。薬理学的な血栓溶解療法より,PCIが治療成績において勝り,ステント留置術が加わったことにより治療成績は一段と向上して広く普及している。
・・・・心筋梗塞発症直後に発症する一次性心室細動(最初の1時間に発症する心室細動)から救命するためには,可及的速やかに電気的除細動を行うことが重要である。
また,CCIにおいて急性心筋梗塞の死亡率を著明に減少させることができあのは,モニタリングや除細動器によって心室細動をコントロールすることができるようになったことが大きい。」
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なお,原告側からは,森功医師の意見書が提出されている。