『アクシデント・後編』 突然、自分の名前を呼ばれて、顔を上げる。 今、何て言った? どうして名前を知ってるの? いや、それよりも前に・・・「片思いしてる相手」? それって、どういう・・・。 「これって、一応恋の告白のつもりなんだけど」 「そ、そんなこと急に言われても。今、顔だって見えないわけだし」 『恋の告白』なんて言われて、顔だけじゃなく一気に体の温度も上昇する。 どうしよう。すごい、熱い。 右手を団扇代わりにして、顔に風を送ってみてもダメ。全然効き目ない。 「顔が見えないから、言えるってこともあるって」 グレイは、こんな暗い中でも私の様子が分かっているかのようだ。 告白して、ドキドキしていると言う割には、その声は妙に落ち着いている。 何だか悔しい。 「そうかもしれないけど!」 悔しさのあまり、声を荒げた私にグレイはちょっと驚いたようだった。 「・・・あー、あの。ひょっとして彼氏いた?」 「いません、けど」 うっ、更に悔しい。そうなの。どうせ彼氏いませんよ。 「あー、良かった。やっぱり。俺のリサーチによるといないはずなんだけど! やっぱり本人の口から聞くと安心する!良かったぁ」 やっぱりって、なんなの。やっぱりって。 ドキドキする気持ちと、悔しいって気持ちが入り混じって自分でもどうしていいかわかんない。 そりゃ、女だから。告白されて嬉しくないって言ったら嘘になる。 だけど、こういう状況で向こうは余裕シャクシャクで。 冷静に考えることなんてできない。 「外に出れたら、考えます」 私は、手元に置いてあったファイルを盾にするように掴み、胸元に抱きかかえた。 そう。今は真っ暗闇の中なんだから。 「つり橋のドキドキ」に惑わされちゃ、いけない。 「そっかぁ。このまま外に出れなくてもいいかなって思ってたけど。それじゃ外に出れないと困るな」 カリカリ、と頭を掻くような音がする。 横を向くと、グレイの骨ばった大きな手がうっすらと見えた。 ・・・割と好み、かも、しれない。こういう手。 そんなことを考えていたせいか、その大きな手が私の髪に触れたことに気付くのに、ずいぶんと時間がかかった。 ふっ、と耳元にあたる、肩越しに感じたものと同じ温度。 「なっ、何ですか?」 「んー、外に出たとしても答えがバツだったときのための保険というか」 「はぁ!?」 なんですか、それは! 続けて言おうとした、私の言葉は喉の奥から出ることを許されなかった。 耳元に感じたものよりも、更に密度の濃い温度が、唇に落とされる。 キスが始まって終わるまでが 運命のカウントダウン どこかで聴いた歌の一節がすうっと頭の中をよぎって、消えた。 どうしよう。 「つり橋のドキドキ」なんてそんな易しいものじゃない。 つり橋から落ちていくみたいに心臓が苦しいくらいに締め付けられて。 どうしようもなく怖いのに。 ------ それなのに、どこか切なく甘い。 その甘さがもっと欲しくて命綱を掴むように、グレイの肩に手を伸ばし、ゆっくりと触れたその時。 ぱっ、とエレベーターの明かりがついた。 それと同時に唇の温もりも、離れていく。 さっきまで触れていた唇が目の前にあって、言葉を発した。 「あーあ、残念」 「ざ、残念って!」 「せっかくその気になってくれたのになぁ。 電気ついたってことは、監視カメラも作動し始めたってことじゃない? 先に進めなくて、すごい残念」 「・・・・・・」 言葉が出ない。 まるで魚のように口をぱくぱくさせてしまった。 「そんなことより、俺の顔、よく見てよ」 「え?」 「今まで俺のこと意識したこととかないだろ?じゃあ、これからよく見て決めてよ」 ・・・意識どころか存在すら知りませんでした。 でも、そう言われて私は初めてまじまじとグレイの顔を見つめた。 少し硬そうな前髪がはらりとかかった額。 薄い二重の瞳。 超美形とは言えないけど、『男の子』がそのまま大きくなったような。 明るい光の下で、今まで意識どころか存在すら知らなかったその顔が、 私を見つめて笑っている。いたずらっ子のようなその口元は、どこか憎めない。 「あー。なんか照れるよなぁ」 そんなことを言って、更に笑う。 「あの」 自分でも何を言いたかったのか、よく解からないまま口を開いた。 多分、この動悸を抑えたかったんだ。 それぐらい彼の笑顔は、私の胸の奥までやすやすと入り込んできている。 「うん?」 私の問いに応えるようにグレイの瞳が動いたとき。 ガーッという音がして、エレベーターのドアが開いた。 一気に外の空気が流れ込んでくる。 「大丈夫ですかー?」 グレイの視線から逃げるように、慌ててその場に立ち上がった。 ドアの向こうには、作業服を着た50代くらいのおじさんが心配そうにこっちを見ている。 「そうですか?いや、二人して座り込んでるから気分でも悪いのかと」 「いえいえっ、本当に大丈夫ですから!!」 おじさんを安心させるために、顔の横でぶんぶんと手を振って見せた。 ついでにスカートをはたいて、埃を払う。 「それならいいんですけどねー。あ、修理終わりましたから。もう降りても大丈夫ですよ」 「そうですか。ありがとうございます」 グレイも、私のすぐ右横に立っておじさんにお礼を言った。 「あの・・・じゃあ、私はこれで」 ファイルを抱えなおし、そそくさとエレベーターから逃げ出す。 グレイからも、逃げ出すように。 「待てよ」って声が聞えたような気がしたけれど、 後ろを振り返らないまま、エレベーター横の非常階段まで走った。 人気のない階段を、そのまま一気に7階の踊り場まで駆け上がる。 ポケットから携帯を取り出して背面液晶で時刻を確認すると、 エレベーターに乗り込んでから一時間以上経過していた。 事情が事情だけど、きっとお局さまの機嫌はすこぶるよろしくないんだろう。 エレベーターに閉じ込められちゃったことでも、嫌味の一つも言われてしまうに違いない。 『日ごろの行いがよくないから、こういうことになるのよ』とか何とか。 うう、職場に戻りたくない。 ・・・それよりも、グレイをあのまま残してきて良かったのかな。 きょろりと階段の下を覗き込んだ。 いない、みたい。 はぁ、と大きく息を吐き出して、人差し指を唇に持っていってみる。 あの密度の濃い温度がまだ残っているような気がした。 逃げ出して来ちゃったけど、名前も知らない相手と、その・・・キスまでしちゃって。 これから会社で会ったら、会ってしまったらどうしたらいいの!? 「どうしよう」 手すりに寄りかかるように俯いた。 「どうしよう、じゃないだろ。コラ」 コツン。 頭にゲンコツを食らって、驚いて顔を上げると、少しムッとしたようなグレイが立っていた。 「えっ、あの、その・・・どうしてここに?」 「追いかけてきたに決まってるだろ!?ドアが開いた途端に逃げ出しやがって」 「だ・・・って。恥ずかしいじゃない」 「俺だって恥ずかしいけど、それでもなぁ」 あーあーあー。もう、いいよ。 シャツは片手で髪の毛をぐしゃぐしゃとかき回した。 「そりゃこういう状況で言ってしまったのはマズイとは思うけど! ずっと片思いしてた相手と密室で二人っきりって、こんなおいしいシチュエーション 二度と来ないと思ったんだよ!・・・って言ってもこんなの言い訳だよな。ごめん」 「ずっと片思いしてたって、いつから?」 「そこまで言わせる?」 「聞きたいんだもん」 「うわ、マジで?これ以上恥ずかしいこと言わせて欲しくないんだけど」 グレイは視線を天井に向けて、片手で口を覆った。 ついでに顔を真っ赤にさせて。 エレベーターの中でキスしてくるよりも恥ずかしいことなんてないと思うんだけど。 それでもグレイは意を決したように、口を開いた。 「あのさ」 「はい」 「うちの会社の正面玄関にいつもワゴン車で、パン売りに来るよな? 俺、あそこのコロッケパンが好きでさあ。いつもパン屋のおっちゃんに 必ず1個取っててもらうんだけど。ある日、おっちゃんが間違って全部売ってしまってて。 それで俺、お客さんがいっぱいワゴン車の周りにいる中で叫んじゃったんだよ」 何だか思い出したような気がする。 私がまだ入社したばかりの頃。 五月の連休に入る直前くらい? 会社の前の緑がすごい鮮やかで。同期の子と公園でランチしよっかってパンを買ったときに 大声で叫んだ人がいる、ような気がする。 そう、確か・・・・。 『俺のコロッケパン!!』 二人の声がハモって階段じゅうにひびいた。 慌てて、二人同時に口を抑える。 「なぁんだ。覚えてんじゃん」 「覚えてるっていうか」 「その後、どうしたかも忘れた?」 その後?その後は確か・・・。 「叫んだ男の人に、自分のコロッケパン渡したような」 「それ、俺なんだけど」 グレイが自分の顔を指差す。 私は彼の顔をまじまじと見つめた。 こんな人だったっけ?・・・覚えてないや。 「まるっきり覚えてませんって顔してるな」 まぁいいか、と呟いて、グレイは大きく両手を上げて伸びをした。 すう、と息を大きく吸い込む。 「そのときコロッケパンをくれた、OLさんに、 俺はひとめぼれしたというわけです!それからずっと中川さんだけを見てました!」 頭の中、真っ白。 もう半年以上前の出来事だよ? こっちはコロッケパンあげたことすら忘れてたのに。 それなのに、その間ずっと見てくれてたんだろうか。この人は。 たかがコロッケパン一つで。 何だか可笑しい。 おかしいような、嬉しいような、どうしようもない気分。 自然と口元が緩んでしまう。 「そういうわけで、今日仕事終わったら一緒にメシでも食べに行きたいんだけど」 きっと、私はまだ名前も知らないこの人と、ご飯を食べに行ってしまうんだろう。 それは予感じゃなくて、確信。 だって、私はとっくにつり橋から落ちてしまっているから。 きっと、私は照れたように笑うこの人のことをもっとずっと好きになる。
END
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気がついたら、ちょっと長めのお話になってしまってました(汗) こんなに長くなる予定じゃなかったんですけどね(笑) 意外と「グレイ」君がサクサク動いてくれて書きやすかったからかも。 っていうか、惚れた理由が「コロッケパン」かよ!(笑) 書いてて楽しい二人でした。 続編書きたいなぁ。 >>Back >>Novels top |