Eat with you on the weekend

11. 週末には食事をしよう。


 
「まったくもう!信じられない!!」

声量は控えたまま、鼻息も荒く抗議をするアバンの肩を押してシャワールームを出る。
扉をあけようとして、がつんと抵抗を感じて止まった。ゆっくり力をこめると、さほどでもなく扉は動いた。開いたすきまから覗くとイスが置いてある。掃除中のときに立てかけられる札がついたものだ。どうやら気を使われたらしい。
その状況を見て、あらためて乱入者を思い出したらしいアバンの肩が、ふるふるわなないている。
肩を抱くようにしてうながすと腕をはたき落とされた。
ずんずんと肩をいからせて数歩進むと、ふりかえってヒュンケルに指を突きつけた。

「お仕置きです。しつけが必要ですね」
「いい年をしていまさら……」
「いい年をして羞恥心は無いのかといっているんですよ!付き合っていくためには最初のルールづくりが大切ですから!」

犬か何かに待て、を合図するようにてのひらでさえぎられて、反射的にヒュンケルは足をとめた。
ぐるりとアバンは向きをかえるとずんずんと進み、階段までくるともう一度ヒュンケルをにらみつけ、駆け上がっていく。ほどなくドアの開閉音が聞こえた。
怒らせたな。
ヒュンケルはまだほとんど濡れたままの髪をかきあげた。だが『付き合っていくためのルールづくり』とは建設的な宣言ではないか。付き合いきれないとは言わないところがアバンらしい。
そういえば、はじめてふたりで生活すると決めて旅立つときにも似たようなことを言われたな、とヒュンケルは思い出した。

――― 共同生活をするにあたって、最初のルールづくりがミソなんですよ!

どちらが料理するか、旅で稼いだお金の分けかた、どうやって次の目的地をきめるか、滞在するときは、街のなかでは……。
ままごとのような家族ごっこでもあり、師弟関係でもあり、苦痛と甘いよろこびとが混在したひとときだった。
これからの関係が、はたしてあの頃を懐古するだけのものになるのか、違うなにかになるのか、ヒュンケルにもまだわからない。
わからないが『セックスの時と場合』は、どう考えても新しいルールだろう。
ヒュンケルは追うように自分の部屋の前までたどりつき、扉をあけようとノブを回して固まった。

「……カギ、かけたのか」

表情はさして変わりないものの、幾分眉をしかめているように見えるいかめしい顔でヒュンケルはため息をついた。
世間一般などという言葉とは縁遠いヒュンケルには分かっていないだろうが、その姿は『朝帰りをしてしめだしをくらった尻にひかれている亭主』の態である。

「私がだめといったら、絶対にやめること」

しめきられたドアのむこうから、地をはうような声がきこえてくる。ヒュンケルはドアに額をつけてうつむいた。

「返事は、ヒュンケル」
「……」
「あ、そう、じゃ今日は廊下で寝なさい」
「……状態による」
「事前にききなさい!」
「勃ってしまいましたが、致してよろしいでしょうか。先生」
「ぎゃーー!事前にっていったでしょうっ!」
「勃起しそうです先生」
「決定!そこで頭冷やしなさい!」
「あいにくそんな気分じゃない。じっとこんなところで寝るとでも思うのか、いくらでも暖められた寝床はある……」

最後まで言い終わらないうちに扉がひらき、電光石火の速度でこぶしが舞った。扉に額を寄りかからせていたヒュンケルが腹筋をひきつらせて背後に避ける鼻先をかすめる。
もうこんなスピードについていくのは難しいんだが。以前ならばなんということはない一打を、苦しく避けて二打目が襲うまえにその腕にとりつく。体あたりの要領で部屋へなだれ込んだ。
常人ならばもつれあって転倒しそうな勢いだったが、さすがというべきか、部屋へと後退しながらアバンはヒュンケルをなんとか受け止めた。

「暴力は禁止、というのはどうだ」
「浮気は厳禁」

妬けるか。どういう神経しているんです、さっき下で自分だって散々好き勝手言っておいて。
ぎりぎりとつかみ合った腕を押し合いながら、攻防がつづいた。そのままの勢いで噛み付くようにアバンの唇をさらった。

「公共の場所ではもうしない」
「あたりまえです」
「これくらいはいいか」

荒い呼吸を互いの唇で感じる距離のまま、ヒュンケルがねだるのを、あきれたようにアバンはため息をついた。

「あなたがそんなに触れ合うのが好きだったとはね」
「俺もはじめて知った。どうにもたがが外れたらしい、あんたを見ると触れたくなる」

おどろいた表情で口を開いてアバンはヒュンケルを眺めた。こんなことを顔色も変えずにさらりと言えるキャラクターだったか!?と思うが、その気になれば恥らったりはしないだろうし、手段を選ばないというのもすこし解かる気がした。つまりはけっこう馬鹿正直なのだ、この弟子は。

「キスも……もう少し私の心情を察して判断してください」

ごにょごにょと力なく、顔を赤らめつつアバンは訴えた。この馬鹿相手に恥ずかしがる必要はないとは思っても、やっぱり恥ずかしいのだから仕方ない。

「善処する」
「それから浮気はほんとに厳禁ですから。やるときは本気で、私を捨ててからやってください」
「信用がないな」

そうじゃない。アバンは薄く笑って捕まえていた腕を手放した。

「私をいくつだと思っているんです。あなたより10歳もおじさんですよ?……怖いんですよ」
「馬鹿なことを」
「馬鹿はあなたですよ。本当はどこでキスをしたっていいんです、あなたに似合うとだれもが思う『女性』なら。週末にはデートをして、食事をして。ときどき週末をまちきれずに、夜押しかけて手をつないできれいな星空でも眺める。それが普通なんです」
「俺に『普通』なんてものは、なんの意味もないと解かっているはずだ」
「そうですね、あなたときたらほんとに変態なんだから。こんなおじさんがいいなんて」
「理想が高いといってくれ。変態はあんただろ、こんな男を許している」

本当に馬鹿正直な目だ。アバンは色の薄いヒュンケルの目をみつめた。昔も今も、なりはでかくなってもかわらない雄弁な目だ。恥じらいも遠慮もなくアバンを射抜いて、放そうとする余裕がまるでない。
だから許すのだとアバンは思う。
やさしさ故のいつわりであっても、もうアバンにはプライベートにまでそれを抱えていられるほどの気力がないのだ。年をとったのだと思う。さらけ出しても、醜くても、アバンを捕まえて放さない強引な腕がほしい。わがままを許して欲しい。
余裕など無く、すがるように、無遠慮に、強く。
そうして余裕のあるフリをさせてくれ。

「寝床をあたためてくれ」
「……しょうがないですねぇ」

熱の冷めかけた手をひかれて、歩くほどでもない狭い部屋のベッドに誘われるままアバンはヒュンケルともぐりこんだ。
もともと簡素な独り用のものだ。いいがたいの二人が寝ようとするのだから、抱き合わないと落ちてしまう。お互いにおさまりどころを探して体をつめあい、その攻防に笑いが漏れた。

「ちょっと、遠慮しなさい」
「俺の寝床だ」
「狭い!甲斐性なし!」
「……」

それ以上言い返せないらしい。アバンはヒュンケルの頭を抱えるように抱いた。ヒュンケルが頭の重さをそのままアバンにかけないようにずらして、腰を抱くようにして収まった。

さらさらと散らばる銀髪にアバンはくちづけを落とす。

「週末には食事をしよう」

ヒュンケルがアバンの指先にくちづける。

「そうですね、デートをして、食事をして、外で出来なかった分は部屋でキスをしましょう」

ほっこりと互いの体温であたたまるベッドのなかで、すぐに意識はあいまいになる。
ふたりは短い残された夜を、やっと訪れたたがいのぬくもりで埋めた。
 
 
目覚めたときには、互いの存在を最初に感じる、その幸運がまっている。
 
 
 
end
 

 

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