Eat with you on the weekend
9. 夜あるく
まるで夜こそが生活時間と主張するように、明かりと人の気配に満ちている街並みをふたりは歩いていた。
ヒュンケルが現在の根城としているベンガーナへ、アバンの瞬間移動呪文でやってきたのは深夜をまわっていた。
貿易都市として繁栄してきたベンガーナのなかには、深夜を問わない歓楽街が一角にある。ヒュンケルの宿もそこから遠くない。
宿にいきがてら食料を調達しよう、とヒュンケルに誘われて、空腹に思い至った。
結局夕食は食べ損ねてしまったのだから無理もない。
情事に疲労した体の求めるままにほんの少し前まで、数時間、今脇をあるく男の腕の中で眠ったのだ、と思い起こすと、なおさらこの界隈の色のにじんだ雰囲気がひどく迫って感じられる。
そもそもこの手の場所に来るのは、若い頃好奇心とひやかし気分で出入りしていたくらいだった。
なんだか10代の自分の所業を思い起こさせるようで、なつかしいような、照れくさいような気分がする。
ヒュンケルに求められて眼鏡は置いてきてしまったし、髪もすっかりセットがくずれたまま、ゆるく後ろで縛っているだけだ。
部屋着のような簡単なシャツに、マントだけは使い古した地味なものをかけていた。
存外違和感なくこの街に入り込めているんじゃないだろうか。
アバンは自分の姿をかえりみて、次にちらりと横のヒュンケルを見た。
すっかり汚れたシャツを呪文で焼却してしまい、証拠隠滅を計った後、アバンは少し大きめのシャツを見繕って貸した。何の飾り気もない白いシャツで、その無難さにヒュンケルがほっとしているのは確かだった。
貴族風の衣装はアバンの趣味ではあったが、別にそれをヒュンケルにさせたいとは思わない。多分わき腹が痛くなるだけだろう。そう思うと一度くらい着せてみようかとも思うわけだが。
気持ちゆとりのあったシャツは、ヒュンケルにはぴったりとしている。
ボタンを2、3外してルーズに着ただけの姿で、歓楽街のあかりの中を歩くヒュンケルは、想像もつかなかったが、場慣れしていて雰囲気にとけこんでいた。
こんな風にことさら人の生態臭のあふれたなかに、ヒュンケルが存在しているのが不思議でもあり、ひどく嬉しくもあった。
出会った頃や、いっとき見失った頃を考えれば、夢のような出来事に違いなかった。
船乗りたちの多く出入りする街で、体格こそはさほど目立たないが、それでも肌の白さや整った顔立ちは目を引くらしく、ずいぶんと甘く誘う声をかけられる。
ヒュンケルは気にした様子もなく、人や誘う手をすり抜けていた。
そんな様子に意識がむいていた一瞬、よけそこねた手にマントを引かれた。驚いて振り返るアバンの肩に、いつの間にかヒュンケルの手が促すようにかけられる。
誘う手の持ち主に口の端を持ち上げるだけの、しかし色をのせた笑みを向けるヒュンケルに驚いていると、その笑みにどんな効果があるのか、そのままするりとふたりは手を逃れた。
「知り合い?」
「いや」
「……ええと、今のはどんな感じになってるのかな」
「連れだとわかったんだろう」
どんな、という言葉は飲み込んだ。
男同士の連れなどあふれている界隈だ。だが、大半は花を手にしたら分かれる連れだ。誘う手が不要とされる連れとなったら、それはどんな意味かなど聞くまでもない。
アバンの自律神経が、その顔を赤くするべきか、青ざめさせるべきかを判断する前に、ぐい、と手を引かれて目当ての店についたことがわかった。
戸をくぐると、酒場特有の臭いと騒音が満ちていた。繁盛している。
ヒュンケルはカウンターへ向かうと、声をかけた。
「シャンピオンのピザ、舞茸の入ってるやつだ。ああ、カットは4でいい。あとは……今日は蒸し鶏とサーモンがあるらしいが」
最後のほうは自分に向けられたものらしい、アバンは瞬いた。
「蒸し鶏がいいですね」
「じゃあ、それをああ野菜とサンドイッチにでもしてくれ。持ち帰る。酒はいるか」
「いえ、それほど」
「持ち帰る分に水を、ラムを」
指で2つと示すと、すぐにグラスがならべられた。入れ替わりでコインが渡る。
グラスは料理がつめられるのを待つ間、ということなのだろう。
独特の甘い香りと強いアルコールのにおいが、普段飲みなれた葡萄酒とはちがっていた。そういえばこんな酒もひさしぶりだ、とアバンは思いながらヒュンケルへ視線をむけた。
「あなたがメニューをえり好みするなんて、ちょっと意外な感じ」
「どんなイメージだって?」
「イメージっていうか、実際『食えるものを』くらいじゃないですか」
「最近口が肥えたんだ」
肩をすくめるヒュンケルに、アバンは笑いかけた。
「そういえば昔もきのこはよく食べてた」
「ママの味だな」
ママという揶揄が誰を指すかはもちろんすぐに伝わって、アバンはヒュンケルを睨みつけた。
「まぁ、実際これを嫌われると旅の最中の食材はかなり厳しいですがね」
わずかだったが、ともに旅した記憶を振り返る。
事情が事情だけにたのしいばかりの道行きではなかったが、それでも大切な思い出だった。あのころは自分の胸ほどにしかなかった背丈の子供が、いまや自分よりいくらか大きいくらいだ。
思った以上に早く用意された料理の紙袋に、あわてて残った酒を流し込む。
「あたためるだけだからな」
なるほど、それで「今日ある」ということになるのか。だが味はここが一番旨い、と店を出ながらヒュンケルが保証した。
すぐに紙袋をあさるヒュンケルに、ちょっと、ととがめると、冷める前がうまい、と返されてピザを手渡される。崩れるチーズにあわててかぶりついた。
「ん、おいしい」
食べ始めると空腹を思い出した。行儀悪く、歩きをとめずに味わう。酒でほてった胃袋にここちいい。
食べ終えると、すでに2枚目に取り掛かっているヒュンケルが、口に咥えたまま、もう1ピース取り出してアバンに渡した。
指をよごしつつ、ピザをほおばって闊歩する男ふたり組みに、もう声はかからなかった。
宿にはほどなく着いた。
時間が時間だけに受付には人がいなかった。多くの宿屋は1階が酒場になっているがここは静かなものだ。ふたりはヒュンケルの借りている部屋に入った。
「静かですね」
「ギルドの宿だ。食事はないが商売が禁止だからな。静かでいい」
「なるほど」
貿易がさかんで、豪商といわれる大規模な商人たちのいるベンガーナ特有の制度だ。日雇いなどの仕事のなかで信用が上がると、こういった抱えのねぐらを安く借りられる。
「ちゃんと生活してるなぁ」
「驚きだが」
素直にうなずくヒュンケルにアバンは笑った。
誰のせいだ。私のおかげですね。
小さな備え付けのテーブルに食事をひろげつつ軽口をたたく。
たしかにアバンとこんな風に新たな関係を築かなければ、こうして人の多い場所にとどまることはなかったかもしれない。
幼い頃に家と呼べる場所を失って以来、流れることにこだわりはなかった。
皮肉なものだが、それでもどうしても還りついてしまう人間がいる。今はヒュンケルはそのことを否定するつもりはなかった。
当初の目的を思い出してシャワーを浴びに降りる。
共同の風呂場だが、どう考えてもアバンを知る者が入ってくる恐れだけはない。それだけでもほっとした。思ったよりも清潔であることもアバンの気持ちをやわらげる。
伸びてきたヒュンケルの腕をはらいつつ、声をひそめて文句を言う。たわいないじゃれあいだ。
結局、人がいないのをいいことにヒュンケルに髪を洗わせる。
「あー、気持ちいい」
洗い流されるしずくに、目をとじてヒュンケルに背中をあずけた。
「いいな〜、気持ちよさそうだよな〜」
「お前にするわけないだろう。さわるなよ」
「へ?」
まどろむような心地よい体温に降った、覚えのない声にアバンは我に返った。
ぱっとヒュンケルから離れようとする体を、当の本人のすばやく回された腕にはばまれる。
「風呂はあとにしろ」
「えー、まぜて欲しい」
「まぜるか、惜しい」
お前意外にケチだなぁ、と指でもくわえそうな顔つきでのぞきこむ男に見覚えはない。
がっちりとした、いかにも船乗りといった風体の日に焼けた肌と、どこか人懐こい目をしている。
ここにいるということは宿泊者なのだろう。
別に男に全裸をみられたからといって、どうということもない。普段ならばだ、今この体を抱えている腕とその持ち主がなければ。
知り合いらしいがのんきに会話している場合だろうか。アバンは固まったまま凝視した。
「ふ〜〜ん、『年上の美人』ね」
「それ以上見るなよ」
「いいじゃない、減るもんじゃなし」
「減る」
言っておくが。
ヒュンケルが指をさして男を威嚇した。
「この人に手をだしたら殺すからな」
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