懐 園
2、たったひとりの城
門の前に馬車がつくと、重い鉄の柵で出来た門が開いた。
押し開ける人影は見えない。動きはなめらかできしむ音などは聞かれなかったが、いかめしい印象はすこしも薄れなかった。
きょろきょろと見まわすアバンの横で、父親は慣れたように馬車を進める。
厳めしい城にホロのついた馬車はいかにもちぐはぐだった。
屋敷の周りは整えられていたが、むしろ殺風景な庭だった。最低限荒地にはなっていないという程度の、芝と植木が順序よく並んでいる。
さほど待たずに幌馬車は止まった。
屋敷の扉の前には男装の女性が立っていた。
「おかえりなさいませ」
「帰ってきたわけじゃない。すぐに出ていくよ。父上はいらっしゃるかい」
「居間でお待ちです」
「すまないが、こちらでお会いしたいと伝えてくれ」
「かしこまりました」
するりと扉の中へと姿を消した女性を、アバンは落ちつかない様子で見つめた。馬車を降りると父親の側に立つ。母も馬車を降りた。
「お父さん今のは誰ですか」
「さあ、今の執事役かな」
「なんだか……」
「変か? お前には判るんだな。あれは人間ではないんだよ」
この屋敷にはたくさんの人がいるが、本当に人間なのは父上だけなんだよ。父親が寂しげに笑ってアバンの頭を撫でた。
「じゃああの人たちは?」
「そのうち判るよ。でもお前や母さんにいじわるするようなものはいないよ。心配ないからね」
「お父さんには」
「……どうかな。俺はこの家の裏切り者だからな」
「くだらぬことを」
びくりとアバンは父親から視線を目の前の扉に向けた。閉じられたとびらが、今かすかなたわみを見せて開こうとしている。
突然投げられた声の主は見えない。すぐに横に立つ存在を再び見上げると、父親はどこかいびつな微笑みを浮かべて、扉に視線を向けたままアバンを振りかえらなかった。
「相変わらずこの家でひそひそ話はできないな」
「秘さねばならぬことは口にはしないことだ」
開けられた扉の奥には初老の男が立っていた。
似てる。アバンは自身の祖父であろう男を見つめた。男は父に良く似ていた。
穏やかな面差しと、弓なりにゆるくそろった眉、理知を感じさせる目元。
それらは日頃父のなかに見るものとよく似通って、アバンは初めて血脈というものを意識した。ずっと親子三人で過ごしたアバンにとって、両親以外の親類と対面は初めてのことだった。
そして年振っただけに、男には父には無いしわが刻まれていることに気付いた。そのしわは、深さで言えばささいだったが、重く存在を主張してアバンに印象付けた。それは父と祖父との溝のようにアバンには感じられた。
「心配もしていませんでしたが、無事ご健勝で」
「私は私の役目を果たすまで存在し、何者にも損なわれることはない。お前の意思とは無縁だ」
父は眉をわずかに寄せた。気分を害したようだったが、その目はしおれているように一瞬見えた。
「……本当にこの家は何も変わらない。俺はこの家を出たときの気持ちが、まるで今また同じように甦る」
「……」
「すべてを捨てて、あなたを裏切って、いまさらだとは思う。それでも俺はこの家を利用する」
言葉が続くほど耐えるように、苦しげに見える父に驚いてアバンはすがった。
どうして痛むの、どこが痛むの。
そう聞きたかったが、そっとしかし再びすがるのを許さない強さで、父はアバンを押しやった。
そしてその場にひざまづいて両手を地にすえた。
「助けてくれ。妻を救いたい」
深く地に頭をたれた父親の姿を、アバンは呆然と見つめた。母は静かによりそって立っていたが、声を一言も立てないままに夫にしたがった。
土下座した両親をぼんやりと立ち尽くして見ていたアバンの視線が、祖父の元へとめぐらされた。
なにも無かった。
無感動な目だった。
その表情がとつぜんにかき消されて、アバンは自分が泣いていることに初めて気付いた。
喉を詰めたような、息苦しい涙は、声もなく流れた。
流れた涙のあとに、視界が戻ってきて、祖父が自分をみていることに気付いた。
「名前は」
そんな状況じゃない、今あなたに接したいと思っているのはお父さんなんだ。うん、でも、いいえでもいい、答えてよ、お父さんに応えてよ。
この人の世界にお父さんはいないのか、アバンは失望を感じた。それはきっと、父がこの屋敷を出る瞬間まで感じつづけたものなのだろう、アバンはそう想像した。父は祖父のあきらかにアバンに向けられた声を聞いても、頭を上げなかった。
「ぼくらを助けてくれるなら」
別れても、厳しい道を選んでも、それでも母さんと自分と生きると言った父が、アバンは好きだった。
だから自分に出来ることをしようと思った。
なんの力も無い、子供だけれど。
ぼくは父の為にこの人と戦う、爪も牙も無いけれど、ちいさな杭を打つ。この人に穴をあける。母の為に強くなる、父に代わって守れるように。
「助けて」
じっと自分を見つめる目を睨みつけた。一瞬か、しばらくか、やがて老人は再びアバンに問うた。
「名前をきこう」
そうしてひとつの契約がなされたことを、アバンは知った。こんなにも自分の名前が重いとおもったことはなかった。それが名前というものだと、初めて知った。
「アバン」
希望と苦しさとがその一欠けらの言葉に詰まっていた。
そしてアバンと母親はこの屋敷に迎えられた。
祖父の出した診断も、父がテランの村でだした結論とほぼ同じだった。
母にかかっていた魔法は、やはり徐々に母を蝕んでいる。今の状態が完結ではなかった。
しかもやっかいなことだが、回復呪文ではそれを解くことが出来ないし、あらゆる対魔法も講じられない。少なくとも現在人間界にある呪文では。
呪文がいまだ「かけられつづけている」ことも特殊であった。
元々はザキやザラキのような即死系の魔法ではないかというのが、祖父の見解だった。
まだ人間に未知の魔界魔法か、あるいは術の完成できない事情がかけられる母の側に生じたのかは判別がつかないが、相当な威力の即死魔法が引き伸ばされているような状況が近い。
それはあたかも少しずつ母の周りの時間だけが、緩やかになっていくように、停止へ向かう徐行のように作用した。
だんだんと会話での返される言葉に、間を感じるようになり、やがて明らかに周囲の時間からずれた。しかし母にはそれは感じ取れないようだった。
まるでちいさなネズミの鼓動と、ゾウの鼓動の速度と寿命が反比例するように、命の時間の流れ方が異なっていた。
だが母は人間だ、徐々にゆっくりとなる鼓動はやがて停止と同状態となる。そうなれば永遠の存続と、死はとても似通っているのだと、アバンは思い知ることになるだろう。
祖父は持てる知識と魔力で母の停止へと向かう、徐行の段階を引き伸ばし続けている。それを無効にする時間を稼ぐために。
それがアバン達親子の依頼だった。
かけられ続ける状態にある魔力の根源を父が絶つまで。
それがもっとも可能性のある現実的な方法だと父は判断した。
魔力の源である、白い魔族を殺す。
けれどそれは易しいことではない、ということはアバンにも察せられた。相当な危険が想像できた。
何よりこれだけの術を、「かけつづけている」ことが出来る魔力の持ち主なのだ。
術者の意思で中断しないのか、それとも出来ないのか判別は出来ないが、魔力の容量に耐えきれないならば術者のほうがダメージを受け、最悪死に至っているはずだ。
それなのにわずかずつでも術が進行している以上、そこには殺意と強大な魔力がある。
「白い魔族」と呼ばれるのは、その通り目撃の証言が寄せられていたからだ。
人にごく近い姿だったという。白い長衣をまとい、白金にけぶるような髪と白い肌。特にどこかの村を襲ったりという被害はなかったが、かかっていく者は返り討ちにあっていた。
しばらくあのテランの森や、国境ちかくの山岳地帯などで目撃され、そのために防御・調査の魔法使いや僧侶などが訪れるようになっていたのだ。
なぜ現われるのか、どこから来たのか判らないまま、しかしアバンたちのことを襲った夜以降は目撃されていないようだった。
あの夜に何があったのか。
それはとても重要なことのはずだった。
なぜ無傷の自分が何も思い出せないのか、母のように術を受けて昏倒していたわけでもないのに。
最初に問われて覚えていないことを次げて以来、父は再び問い質そうとしなかった。
聞きたくないはずがないのに、何かのヒントになるかもしれない。どんなちいさなことでも欲しいはずだった。
だが父はアバンを責めることもなく旅立った。
あてもない長い追跡と戦いを受け入れた。
だからアバンも終りの知れない、待つ日々を耐えた。
あの日から5年近く経つ。アバンは魔法使いを目指し祖父に師事した。祖父もアバンが求めるだけのものを与えることに、ためらいはないようだった。
13歳になろうというアバンは、並の魔法使いと遜色のない能力を得ていた。
父がかえらぬままの終りのしれない日々は、しかし確実に終りが近づいてきていた。当初1年ほどしかもたないだろうと予測された母も、よくここまで耐えたと思う。
揺れるレンギョウのあざやかな黄色と、うつりかわる季節をせつなく感じながら、アバンは静かに時をとめようとしている母をみつめた。
静かにふりつもる雪のように、アバンのなかに体積を増した絶望が。きえることのない白い雪がアバンを覆おうとしていた。
ひたひたと、それは近づいていた。
――― 最悪の終りが。
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