懐 園
4、大声で泣きたい
この5年に余る祖父との生活のなかで、すべてのわだかまりが無くなったわけではなかった。
今でも父の寂しさが理解できるような気がしていたし、それに伴って祖父を責める気持ちもある。しかし信頼もあるのだ。
頑固だが誠実だと思う。信頼に足る師だと思う。
そうしたものが一瞬にアバンを傷つける刃になった。
信じていた。
けれど祖父の秘密はアバンに初めてといってもいい、怒りと激しい嫌悪を知らしめた。
「何故!何故!何故!」
お父さん、お父さん今どこにいるの?
お父さんの探していたものはこんなところにあった。
自分が裏切ったと言っていた、それなのに、最後に信じたこの家にすべてはあったんだ。
白い魔族はここに隠されていた。
帰ってきて。
昔みたいに三人で暮らそう。
帰ってきて欲しい。だから、
「お前は殺す」
あまりに激しい感情のままに暴走する魔力は、高熱に白く周囲を焼きながら、東屋に立つ白い魔族を取り囲むように進んだ。
それでもなお立ち尽くす姿をアバンは睨み上げた。
まるで結晶化した古木を見るような静寂を、その姿は連想させた。
超然とした存在のもつ威圧感と、時間との乖離感。
ひどい老人のようにも見えたが、外観だけを見れば祖父よりも若いようにすら見えた。これが高位の魔族の持つ魔力かもしれない。
透けるような白い総髪は長く、まとう長衣も白く銀糸が折りこまれている。
片側にかけられた地にまで広がるマントの深い夜の紫紺。
想憂げな瞳の。
真紅。
アバンはあえぐように、突き出した腕の両肩を振るわせた。
加減の利かない魔力の放出は激しい頭痛のような息苦しさをもたらした。それでも引くことなど、微塵も思いつかなった。
あと少し。
「っ……!!」
アバンは反射的に身体をひるがえした。
すっと、軌道を描いて一閃した魔族の指先に従うように、アバンの作り出した炎が切り裂かれる。
かわしながらそれでも力は緩めなかった。魔族の周囲をかこむ炎は消えてはいない。持てるすべてを注いだ。後のことは何も考えられなかった。
「どうして、なかなか激しい」
その言葉は愉しそうな気配さえ含んでアバンに届いた。
「私はあまり魔法が得手ではないのだ、すこしつらいだろうが許してくれ」
炎が地に広がるマントを舐めるように這い上がる。
「バギクロス」
すらりと天にかざされた指先の指し示す先に向かって、空気が揺らぐ。すぐにそれは旋回し、アバンの作り出した炎を巻き上げながら天へと渦巻いた。
強大な力に炎と注がれたアバンの魔力までも、吸いこまれちりぢりに引き裂かれる。
――― 引きこまれる!
疲弊した身体は、意志とは無関係にその渦に引きずられた。巻き込まれれば無傷ではすまない。
外気と渦の境界まで引きずられ、体が重力を失ってぐらりと浮き上がる。
アバンは限界に達しつつある意識のなかで、ぼんやりと死を思う。怖れは感じられなかった。
途切れる寸前に感じたのは、懐かしい父の腕のあたたかさだった。
それは不思議な感覚だった。
見なれたような風景だったがどこかに違和感を感じた。
ふいに、自分が満ち足りていると感じる。
笑っている。
自分も、目の前の男も。
長身の鍛えられた体躯。白い肌に、鋼のような銀髪が揺れている。青年だ。
切れ上がった眦、やはり硬質なひかりをたたえた銀の瞳は、しかしその鋭い印象とは裏腹に優しく自分を見つめている。
不思議なのは自分の視線だと気付く。どう考えても上回るはずの青年の背を無視して、視線は対等だった。
知らない男だ。だが知っている男だ。
自分はこの青年が信じられると知っている。
穏やかだった。
そうかこれは夢なのだと思い至る。
それとも死を告げる天使の法悦というものか―――。
アバンは短く呼吸を吸うと、目を見開いた。
視線の先にうつったのは、石の天蓋だった。激しい頭痛を覚えてうめく。身体は鉛のように重く、ほとんど動かなかった。
痛みをこらえて、わずかに頭をめぐらせた。
目覚めると悪夢が続いていた。
アバンが横たわっていたのは、長椅子だった。包むように掛けられた紫紺は、死を願った魔族のマントだと、すぐに察せられた。
だがアバンにはもう、叫ぶちからも、泣く気力も残ってはいなかった。
「私はお前の望む『白い魔族』ではない。残念だが」
「……ど…し……てわか……」
「お前の事はよく知っている」
「……」
「ある意味お前自身よりも」
「……っ」
どうして会ったことも無い魔族が自分の何を知っているのだろう。
自分が無知だというのはもう嫌というほどわかっている。知りたいと思っている。それを知りうる術がないだけだ。
誰より苦しく自覚していることを告げられることに、悔しさが募った。
大声で泣いて、喚いてやりたいが、そんな力すら残っていないようだ。
じわりと肌が熱く濡れて、自分が泣いているのだと気付く。
この魔族の前で涙を見せることも腹立たしかったが、とめることも拭うことも出来なかった。
「……アバン、泣くな。私が憎いか、けれど知れば辛い。つらいが、お前は知るのだ。時が来たから。私は何もしてやれない」
魔族はわずかに眉をひそめて自分を見ている。その目に自分を思いやる苦渋が見て取れることに、アバンは驚いてまばたいた。
「お前の苦しみが知れているのに、お前を救ってやれない。知らせれば苦しめると知っているのに、それしかお前の望みを叶えてやれ無いだろう」
痩せた指がそっとアバンの頭を撫で、乾いた指先が涙を拭う。不快感はなかった。
「もう少しおやすみ、次ぎに目を覚ましたときは、もうすこしマシなはずだ」
「…や……」
「心配するな、もう何も無かったことにはしない」
「……」
「約束する」
いたわられる掌があまりに心地よく、アバンはまぶたを閉じた。
身体は意識をつなげることすら、耐えられないほど疲弊している。
ふと、この腕だと思い至る。
意識の途切れる瞬間に抱きとめた、父を思い出させるぬくもり。
どこも似ていないのに、何がそう思わせるのだろう。アバンは夢とのはざかいでぼんやりと思う。
「……お前たちを愛しているよ」
ああ、だからか。それは事実としてアバンのなかに落ちた。
身体の欲求にしたがって意識を手放した。
「最期まで」
つぶやかれた終りの一言はアバンにはとどかなかった。
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