懐 園

5、そしてゼロに戻る


 
身体の周りを巡るように飛び交う白炎が視界をかすめる。
まだ自分は魔力のコントロールを取り戻せていないのだろうか。
アバンは先よりも酷くなった疲労と痛みに眉を顰めた。
 
『そうではない』
 
アバンは驚いて意識を周りに向けようとして、眩暈に襲われた。
周りや自分の身体を顧みようと意識をめぐらせたにもかかわらず、視界が転じることも、身体が動くこともなかったのだ。
視界が変わらないのに、意図した周囲の視界が頭に飛びこんでくる。
幽体離脱というものはこういうことだろうか。
吐き気にも似た違和感にアバンは内心うめいた。
違和感甚だしくアバンの脳に現われた風景は、まさにかつてアバンが育ったあの森だった。
 
――― 嫌だ。
 
とっさにアバンは思う。何が嫌なのか、とっくに気付いているのだ。だが恐ろしくて気付きたくない。
 
――― 怖い。
『それでもお前がのぞんだことだ』
 
そうだ、アバンは思念に応える。けれど怖い。けれど、もう逃れられないんだろう。
この森はかつてアバンが育った、あの場所。でも今の自分はもう、ここにはいない。遠いカールの暗い森が現在のいる場所。だから、この今見えているこの風景は、過去の時間なのだ。
これは俺の記憶だ。
もうすぐ炎があがる。
あのやさしい時間を自分から奪うために。
愛しい人たちを壊すために。
ああ。
 
「かあ……さん……」
 
アバンの意志とは無関係に、きしむように、視界がゆっくりと足元に下りる。
うつむいた頬が熱く濡れた。泣いているという感覚はない。濡れた部分から焼かれていくような、ありえない痛みがどこか遠くに感じられた。
まるですがり落ちたように、守ろうというように、膝をつくアバンの足に伏せた母親の姿がある。
 
――― こんなことは知っている、俺は何も出来なかった。かあさんに何もしてあげげられなかった。
 
声にならない、叫ぶ声が、意識と肉体の乖離したアバンの内側を渦巻く。
母さんは呪われた。
 
『いいや、まだ、だ』
 
視界の端を赤い光が照らす。炎が立ち上り、その熱差から生まれた熱い風が頬をかすめる。
再び上がる視線の先に、その白い姿はあった。
求めて追いつづけた、知らない姿。けれど記憶に刻まれたその姿。白い魔族。
白い肌、銀の髪、青ざめた陰を落す白い長衣、黒い冠。閉じられたまぶたのために目は見えないにもかかわらず、酷い威圧感をもたらすその姿は若々しい青年のものだった。
 
「魔法もしらぬ幼体に、よもや封印をとかねばならぬとは」
 
唇が動いたようには見えなかったが、低い声がアバンを打つ。
 
「流石『獅子の勇者』につらなる者というべきか。だが……そればかりではないな」
 
ぎりぎりと増す威圧感のなかで、ぼんやりと光が立ち上る。
剣にも似た十字の燐光が、柵のようにアバンを囲んだ。アバンの体は本能的に自分を囲む光のなかに母親を囲もうと、伏した肩を抱いた。
 
「皇帝のフバーハ『剣皇の守護印』……しぶとく今だ永らえるか、過去の遺物が。だがもはや力はあるまい。次ぎはない」
『アバン、この守護は血脈に与えられたもの。より多くを望めば、効力は薄れる。諦めよ、助からぬ』
「「いやだ!!」」
 
初めてアバンと過去の記憶の自分自身とが同調する。
アバンは母親にかぶさるように、かき抱いた。
白い魔族の黒く尖った指先からは、黒い雷電のような闇がほとばしり、威力をためている。その有り余る呪力の放電が稲妻のように散るのを、銀の護光ごしにかいまみた。
 
『アバン』
「……いるな、『そこ』に」
『すべて、を護ってやれぬ』
「あの御方の禍となるもの、そのちいさき可能性の光よ。もろともに冥府へ去れ」
『すまぬ』
 
現在ならばマホカンタが使える。この強い守護の力にまとえば、あるいはあの攻撃を返すことが出来る。
瞬間にアバンを痛恨の念がよぎる。なにも出来ないまま終わるのか、『今』の自分は。それでも。
 
「ザラギオン」
「メラ!!」
 
黒い雷光、輝きを増す銀の光、そしてちいさな炎が矢のように飛ぶ。その、交わる瞬間。
一瞬の無音と続く閃光。
アバンは自分を覆う腕を感じながら、強い衝撃に意識を途切れさせた。


 

 

NEXT * Fanfiction MENU