懐 園

7、むかし、昔あるところに


 
「最悪の日だ。だからこれ以上に悪い日はもうない」
 
アバンは目の前に立つ男に、まず宣言した。
 
「だから俺は全部知る」
 
噛み締めるように、ゆっくりと。
 
「全部話せ、全部だ。俺の知りたいこと、ぜんぶ。そうして俺は選ぶ」
「知れば間違いのない選択ができるか」
「知らなければ、間違っているかどうかも判らない」
「知ってもどうにもならないこともある」
「知る後悔のほうがよっぽどマシだ。って、この後に及んでまだ隠すつもりか。『時が来た』とか言っていたじゃないか」
「隠すつもりは無い」
 
お前がものすごい形相で言うから応えただけだ。しれっと答えて魔族の男は東屋へと入る。促されてアバンは、向かい合って置かれた長椅子の片方に腰かけた。
 
「ここには祖父も」
「お前の修行をみる時、外出するとき以外はほどんどここだ」
「え?」
「あれももう年だ。お前のいる屋敷に長くおく訳にはいかなかった」
「でも今は……」
「もう魔法を解いた。ここ以外は」
 
アバンは男のゆっくりとまたたく赤い瞳を見つめた。深い赤は純粋ではなく、しかし暗く澱んではいない。見慣れない色だったが、不快ではなかった。
 
「お前ももう察しているかもしれないが、時間の魔法だ。私のいるこの空間を中核として同心円状に、時間の経過を歪めていた」
「どういうこと」
「お前に『必要な時間』と、お前の母に『必要な時間』では意味が違ったからだ」
 
お前には修行の時間が必要だった。より多ければ、成長の期待も持てる。
けれども母親には死の猶予、より進まない時間が必要だった。
 
「だんだんとお前と、母親の意思の疎通がままならなくなっただろう。たしかに呪いの進行もあった、だがおまえの時間との不一致が大きな理由だ」
「……そんな」
「完全な静止がゼロとすれば、例えるならこの空間の時間の推移は1。お前の母の体に施した隔離魔法が2、現実の世界が3、そしてお前の生活していた屋敷が5。……アバンお前は幾つになる」
「13」
「実際の世界ではまだ10歳だ」
 
酷い。大切な時間だ。残された一握りの母との思い出まで奪われてしまうのか。それはどんな報いだというのだろう。アバンは声もなくまぶたを閉じた。
それでも、それが必要だったと、どこかで理解できてしまう自分が嫌だった。
なんと複雑に入り組んだ5年だったろう。
実際の世界にいる父には2年にもなっておらず、しかしこの屋敷に来た時8歳だったアバンは、もう13になっている
5年近く経ったと思っていた。アバンの体感した苦しい日々は、しかし母には3分の1ほどだった、と慰めに思うべきだろうか。
それでも同じ苦しみを耐えたと思う。母にとっても自分にとっても。
 
「お前と母との時間を奪ったことは、詫びなければならない。すまない」
「でも俺の成長が、あの白い魔族の呪いを避けるには必要だった」
「お前だけならば……だがお前は母を生かす機会を望んだ」
「そして俺はそれを実現できなかったんだな」
「……お前の父が死んだために、これ以上お前の成長を待つことはできなかった」
「ゼロかすべてか。……でもあなたは叶えられないことを察していたんじゃないか」
 
幼い日の自分が、未来の自分の能力までもを使って召喚したそのもの。当然結末は知っていた。
 
「それでも、わずかでも、俺に挑戦する機会をくれたんだな」
 
もしそうと知っていたとしても、自分の成長に、ほんの少しの可能性があるのならば、アバンは残された時間を母と過ごすのではなく、やはり挑戦することを選んだだろう。
そして自分を呪ったろう。こんな風にしか選べない自分を。
それが最善の道だったかは、アバンにも判らない。でも、この魔族がある意味でアバンを護ろうとしたことは判る。
しかしこれほどの長く、広域にわたる呪文を維持しつづけているこの力は。
あの白い魔族ですら、一線を置いていたように見えた。
 
「これほどの時間魔法を操るなんて……剣皇ヒュンケル、と呼んでいた」
「古い呼び名、呪われた名前だ。私はあまり魔法は上手く無い。もっぱら剣でな。今回のことで大分余命を縮めた。もっとも、もう2千年ほどは生きている」
 
「さて何から話せはいいか」
「何故ここに。どうしてジュニアール家に魔族がかくまわれているんだ」
 
そうだな、魔族の男は頷いた。
 
「もう千年この地で封印を護っている。勇者アドヴァーンの子孫とともに。それが今のジュニアール家だ。すでに18世代が移り直系ではなくなった、遠い血の流れだが、約定によって私の魔力と守護は受け継がれてお前で19代目になる」
「どうして!? あなたは魔王と呼ばれるものではないのか。それが人間に魔力と守護を受け継がせているんだ」
「ただの人間じゃない」
 
口の端だけで微笑む静かな表情に、アバンはふいにせつないような気持ちになった。まるで化石のように、古木のように、揺るぎ無く、でももう変わり様の無い存在なのだと胸に迫る。
それがどうしてかなしいような気持ちになるのかは解らなかった。
 
「親友だ。私が最も愛した命だよ」
 
私たちは互いに友と呼び、ともに戦った。勇者、剣士と呼ばれる頃から獅子王、剣皇と呼ばれるようになっても。
だが一方で私は友を欺き、己の望みのために誓いを違え、呪われた。
 
「それ以上に同じ魔族からも忌まれる存在だ。裏切り者と」
「どうして」
「遠い昔、人間界と魔界はいまほど明確に分かれた世界ではなかった。そこに境界線を引いたのは私なのだよ」
 
境界となる封印を施したために、より魔界は暗く荒れた世界となった。
以前はわずかな季節であったが、太陽は魔界にも熱量を送っていた。
もともとほとんどの時間を月が支配し、不毛な地が大半だったが、完全に行き来が隔たれるのとは違っていた。
多くがその環境に耐えうる、強固な身体能力と魔力を身につけて進化した種族。
 
「かつてお前の祖先と私は、人間と魔族が自由に行き交う、そしてもっと互いを尊重しあえるような町をつくりたいという、ひとつの夢をもっていた」
 
はじめから手を取り合っていたわけはない。
今ほどに忌みあうわけではなかったが、魔族は人族を能力的に軽んじていたし、人族は魔族を乱暴な種族と差別していた。
出会った当初の私たちも同じようなものだった。
 
「それでも親友になった」
「そうだ。ないことではなかったが……私にはやはり奇跡のような出会いだった」
「アドヴァーン、て、どんな人」
「生意気なヤツだった」
 
化石がはっきりと笑った。閉じた目には、千年をこえて友のすがたがあるのだろう。
 
「だが素晴らしい男だったよ」
 
互いに気がね無く行き来が出来る場所がほしいな。と言ったのはどちらだったか。
そんなふうに思っている輩が、自由にいられる町があればいいなという話になった。
なければ作ろう。
自由な町だ。
 
「夢のような話しだった。そしてこの上なく楽しい冒険の日々だった」
 
互いのなかでケンカもあった、行き違い会えない時もあった。それでも仲間もできていった。
周囲との戦いもあった。小さな諍い、大きな戦い。心の戦い、武器の戦い。
 
「それでも成し遂げた」
「ああ。しかしそれがゴールではなかった。あれは素晴らしい男だったがそれが禍を呼びこんでしまった」
 
いや、呼びこんだといってはあの男に悪いな。禍に惚れられてしまったというべきか。
いぶかしげに見つめるアバンに、魔族の男はゆっくりと頭を振った。
 
「……やがて町は街になり、国になった」
 
のちにその国はおおくの同盟国を増やし、二つの世界の歴史の中でもっとも平穏であった『百年の泰華』とよばれる時代となる。
獅子王が興し、治めた、自由都市国家。
 
「アドヴァーンが獅子王になったとき、あなたはどうしたのですか」
「宰相をつとめた。柄ではなかったがな、成り行き上負わない訳にはゆかなかった。あの国では魔族も、モンスターも、人間も入り混じっている。当然国務にあたる役も人間だけではなかった」
「でも、その国は今はない」
「あの男の求心力が強かったせいで、それに頼りすぎたのだ。その存在に。あの男が死んだ跡も、子供たちが頑張っていたがな」
 
あの男の描いたままの国を維持することは出来なかった。だんだんとほころび、衰退していった。
 
「興したものは、衰えるのも理。しかしなにもかもが変わってしまっていったが、その国の流れは今のカール王国の興りに繋がっているなのだよ」
 
それが人間だ。姿を変え、繰り返す波のように、寄せては還すかつて垣間見た懐かしい面影。
 
「……どうして父は死んだんだ。守護の力が血で受け継がれたなら、父も守られるはずじゃないのか」
「彼はその宿命とともに、守護も、更なる魔力も継がなかった。継がないことを選んだ」
「だから……この屋敷を出た。父が言っていた『裏切り』っていうのはこのことだったんだな」
「そう言っていたか。裏切りなどではない、パイロも……お前の祖父もそんな風には思っていない」
「それでもきっと父は応えたかったんだ。それでもそうは生きられなかった」
「お前も選んでいいのだ。お前の望むように。だれもその決定を裁いたりしない」
「……父は、責めて欲しかったんじゃないのかな……思いきれなかったんだ。責められれば、恨むこともできるかもしれない」
 
ふいにアバンは思いに沈んだ顔を上げて、魔族の男を見上げた。
 
「あなたは父と会った?」
「……いいや、お前の父はここへはたどり着かなかった」
「祖父は」
「お前の年頃にやはりここへ来た」
「もしあなたと出会っていれば……」
「いいや」
 
アバンは無言で瞬いた。そして泣き笑いのような、奇妙な表情を浮かべた。
 
「そっか」
 
この出会いが答え。
 
「俺、もう選んでたんだな」
 
悔しいな。
もう母もいない、父もいない。闘う理由なんてない。
それでも俺は、死を選ばない限り、闘うことを選ぶ。
そして死を選ばずあがいて生きる。想像できないのだ。死んで両親の元へ逝けるような、夢を見れない。死の先なんて信じられない。
それよりも両親との思い出を、この世界から無くしてしまうことが恐ろしい。
だれにも思い出されなくなってしまう。
俺しかしらない、あのやさしい森の思い出のひとつひとつが。
 
消えてしまう。
 
 
だってもう、それくらいしか守ってあげられないのに。


 

 

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