懐 園
8、勇者と魔王
アバンは祖父とともに父の亡骸をむかえ、母とともに弔った。
ふたりは互いになにも語らなかった。
隠されていた秘密は明かにされたが、そのことについて……あの魔族のこともなにも言葉には上らなかった。
この屋敷は年老いた人間と、年老いた魔族がいるだけの寂しい場所だ。
そう思うとアバンはせつなかった。
魔族に語られた一族の使命も、今はただそうか、と思うだけで力にはならない。
そんな使命にいったい自分は何をみいだせるのか、なにか喜びを感じるのか想像もつかなかった。
ああ、でも。
「剣の師匠はみつかったな」
ひとりになってアバンは、いまや母を失い空になったベッドの端に腰掛けてつぶやいた。
アバンは泣き声を上げながら逃げていくモンスターを見送りながら、ぺろりと舌をだした。
「なんだい、みてくれの割にだらしないなぁ」
ぬきだした剣をそのままに、目的だった植物の前にかがみこむ。
「やっぱり!やった、これなかなか実物が見つからなかったんだよな〜」
腰のカバンから本を取り出すと、ぱらぱらと目的のページをひらいた。そこには目の前にある植物と同じ挿絵がある。
珍しい植物で、薬効も比例してすばらしい。
アバンはそっと根を切らないように掘り起こすと、ちいさなそれを容器に移して、だいじそうにカバンにしまった。
「ヒュンケルのところに植えよう、根付くといいんだけど」
なかなか環境が変わると根付かない植物が多いが、魔族のひそむあの中庭にはよくついた。たぶん、時間がゆがめられているせいだろう。独特の世界がそこにはあった。
両親をうしなって半年あまり。こうして屋敷の外にでることも自由になった。
屋敷の時間も今は外界と同じように流れている。あの中庭以外は。
アバンは毎日あの中庭の魔族の元へ通うようになった。
独学だが武芸の基礎は出来ている。剣皇ヒュンケルの元へ手ほどきを受けるようになると、まるでそれまでの遅々としたレベルアップの苛立ちも吹き飛ぶように、アバンの剣技は開花した。
ただかなしみを紛らわせるための、日課のような修行のための訪問が、楽しみになるのにあまり時間はかからなかった。
剣をまじわらせる瞬間の興奮は、アバンにとって新鮮な体験だった。
魔族の存在そのものにもアバンはひかれた。
いままで出会った事の無い種類の存在。
それはあえて言うなら、あの白い魔族に近い雰囲気をもっていたが、やはり他に出会った誰とも違った。
魔族となど今までふたりしか出会っていないのだから当然だ。と、アバンは思いながらも、違うとまた反対に思う。
静けさ、峻厳さ、慈愛。
そうしたものを、あの魔族から感じる。そしてその時アバンはまるで聖なるものに対峙したような気分になるのだ。
魔族なのに。
そう思ってみても、そのうたれるような興奮は変わらなかった。
あの長い銀の髪がゆれるのを美しいと思う。
真紅の瞳に違和感を覚えることもなくなった。
触れられると嬉しい。
誰にも教えられず、ただ独りあがくように道を探しつづけた日々に、乾いていたアバンにとってその存在はやさしく、頼もしかった。
はじめて頼りたいと思った。受けとめて欲しいと願った。
アバンは手についた土を払うと、植物を掘り起こす間たてかけていた剣をふたたび手にとりながら、先日のことを思いだした。
魔族へと傾倒する、そんなアバンを察したのだろう。
「今だけだ」
しずかな声でアバンを呼ぶとそう言った。
「もう長く無い」
わかっています、そう言いきろうとしたのに、アバンは声を詰まらせた。
泣いていた。ずっとそんなものは忘れかけていたのに。
我慢できなかった。
「い、……やだ。……いかな……いで」
しがみついて泣いた。子供みたいに声が漏れた。
「……好きなんです」
本当はどうか判らなかった。
好き、というそれが、家族のようになのか、憧れなのか、それとも初恋とよべるようなものなのか。
どうでもよかった。失わずにいられるなら、より強い楔となるなら、どうとられてもいい。
「『禍』に過ぎた言葉だな」
ありがとう、とつぶやいた声はかすれてかろうじて聞き取れた。
「……遠い昔、アドヴァーンと誓いを立てた。変わらぬ友情を。私は短い彼の寿命に変わって、彼の意思を継ぐ、その血族の後継者に変わらぬ友情を誓った。
「そして私たちが興した国のために、殺戮を起こすことはしないと」
どうしてそんな話しを今アバンにしようとするのか、アバンは涙に濡れた顔を上げた。
「だが本当はその誓いははじめから裏切られていた。私はとっくに友情ではなくなってしまっていて、愛していたからだ。彼の子供たちを守るために、彼の意思を世界に残したいがために、私は彼の死後あらゆる手段をとることをためらわないだろうと知っていた。そして」
アドヴァーンの死後、その世界を守るために、魔界を制圧し魔王となった。
「殺戮をしなければ維持されない国など、そんなものはいらないと、あんなにはっきりあいつは言っていたのに」
獅子王という存在の欠如が時間の流れとともにもたらしたほころび。
同盟の弱体化、魔界内での主権争いのはじまり、人間界への進攻を画策するものたちの台頭。そしてそれを平らげるために、私は再び剣をとり、魔王となった。
同族を殺してまで、夢の国を残したいと願ったのは私なのだ。
静かに語られる言葉はアバンを打った。
「本当はとっくにお前たちは、この血の呪縛からのがれて自由に生きていたかもしれない」
「あなたがそうしなければ、人間は滅んでいたかもしれない!」
「そうかもしれない。そうでないかもしれない。ただ確実なのはその国はなくなっていただろうことと、その王はそんな存続を願っていなかったといいうことだ」
――― だが一方で私は友を欺き、己の望みのために誓いを違え、呪われた。
――― それ以上に同じ魔族からも忌まれる存在だ。裏切り者と
「だから『禍』なの」
――― 禍に惚れられてしまったというべきか。
「アドヴァーンはあなたを呪ったりしてない」
――― 境界となる封印を施したために、より魔界は暗く荒れた世界となった。
「あなたを呪っているのは、あなた自身なんだ。俺もそうだった。こんなに、こんなに一生懸命まもってくれているのに、あなたの愛情を呪ったりしない」
「……アバン」
「俺はその人に似ているんでしょう?前に言っていたよね。だったら俺はアドヴァーンの生まれ変わりかもしれない」
あなたに、ずっとここで孤独に封印を守りつづけるあなたに、呪ったりしていないと言う為にきっと生まれたんだ。
だからこんなに、種族もちがう、恐れるべき人なのになつかしいんだ。そばにいて欲しいんだ。あなたが、好きなんだ。
アバンは必死にたどたどしい言葉をつないだ。涙と興奮で息を詰まらせるその背中を、魔族の手がそっと撫でた。
「お前は生まれ変わりじゃない。生まれ変わりなどないんだ」
生と死、巡る命、連鎖する因果といつか見た懐かしい顔。
そんなものは確かにある。去る年の春に見た散る花と同じ、美しい花をまた見るように。
人の思いが人につながり、いつか去った人の言葉が、思いがけずにまた出会うように。
「あの男の一生は、あの男の一生なのだ。アバン、お前にはお前の未来がある。それでいいんだ。お前はお前自身で十分に美しく愛しい」
私の引いた結界のために、より強い魔力を持つ魔族は人間界に行き来できなくなった。
だが魔族の命は長い。
私は魔王という立場では心もとなくなった。やがて衰え、私をしのぐ者が現れる。そして私が滅びれば結界もなくなる。
私はより長く結界を維持するために、身を隠し、この緩やかな世界に自らを封印した。
「だがそれでも限りはある。人から見れば永遠にも近い時の流れだが、終わりは近づいている。近年の魔族やモンスターの活発化はその影響なのだ」
魔族は乾いた手で大事そうに、アバンの涙を拭うと抱きしめた。
「お前を愛しているよ。力の及ぶ限りお前を護ろう。
だがやがて私がいなくなれば、結界を越えてくる者が現れる。お前には今までの血族のなかでも、過酷な戦いが待っている。
「仲間をもとめなさい。そしていつか、お前と愛し合える者を」
そんなものはいらない、とアバンはごねた。
子供のわがままだった。そんな風に泣き喚いて、意地をはって、相手を困らせるなど記憶のある限り他にはなかった。
古いかつての魔王はいさめることもしなかった。抱きしめられて、その腕の中でアバンはその日はじめて眠った。
怖い夢を見て泣く子をなだめる親のような、ただそれだけのぬくもりだった。
目覚めたときに見た微笑みと、額に落されたくちづけに、アバンは初めて恋だったと自覚した。
自覚すればもう、愛を乞うことはできなくなった。
アバンはため息をついて、意識を戻した。遠くにモンスターの鳴き声がする。警戒音だった。なにかがテリトリーに侵入したのだろう。
あの日以来、またいつも通りの毎日。それが幸せでもあり、失意もある。
「やっぱり、あれは、失恋なんだよなぁ……」
ぶつぶつとつぶやくアバンの意識のすみで、遠いモンスターの鳴き声が、警戒から威嚇へと変わった。
「……ああ、もううるさいな!人が落ちこんでるのに、ぎゃあぎゃあと!!おしおきしてやる!!」
剣の柄をにぎりしめると、ぶん、と振ってアバンはのしのし森の中を歩き出した。
ほとんど八当たりだ。
アバンの侵入にさらに威嚇の声を高めるモンスターたちを無視して、声の中心に向かう。からみつく植物系のモンスターを薙いで進む。
それも邪魔になってひょいと木の幹に飛び移ると、木から木へと飛びつたっていった。
声の中心を見下ろせる位置まで来ると、金色の輝きが目に飛び込んできた。同時に悲鳴も。
「なんで人間がこんなところに」
中心へと飛びこみざまにモンスターを切り倒す。さしてきわだったものではない。あっさりと潮がひくように、モンスターたちは身をひそめた。
「怪我はありませんか……」
倒れた人間に声をかけて驚く。美しく若い金髪の少女だった。
とてもこの黒の森をうろつくような身なりの者では無い。
上等の衣服に装身具。
胸元にのぞく意匠をこらしたネックレスに内心悲鳴をあげる。
カール王家のしるし。
「あなたは」
だがさしのばした手を引くことは出来ない。
その白くほそい手をとって立たせると、強い意思が覆い隠すことなくきらめく瞳に震えた。
「アバンです。ジュニアール家の三代目です」
少女は感嘆となにかの決意のないまぜになった表情で、アバンを見る。
アバンはなにか裸にされたような、落ちつかなさを感じた。
「私は……」
知っている、という言葉をアバンは飲み込んだ。
金色の輝き、カールの守護女神となるべく生まれた少女。
「フローラ。このカール王国の王女です」
そして私の運命。
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