暴れん坊JOJO

12. ホットミルクをきみに


 
ひとつ大きなあくびをして、体をそっと起こす。
先ほどまで眺めていた仗助の寝顔が、そのまま変わらないことを確認してベッドを降りた。
散々泣かせて、吐露させた。言葉も露も。
さすがにもうしばらく寝かせておこうと静かに寝室を出る。
ガウンをひっかけただけの格好でコーヒーをセットして、バスルームで夜の名残を流した。元々昼も夜もあまり関係ない生活をしていたが、仗助と過ごすことが増えて、世間並みな生活に近づいている気がする。
少なくとも食事を定期的に食べるだけでも進歩だろう。
論文の執筆に入ると、気づいたら、一巡りしてまた夕食だった、などということは今はまずない。仗助がまめに食事を作るからだ。あれは家事がさほど苦ではないらしい。
別段自堕落な生活を送っていた覚えはないが、仗助がどうにもそのみてくれに反してなんとも健全な嗜好なのだ。
そういえば、初めて杜王町へ来たときも、不良のようなナリをしていたが、中身はまったく健やかなものだった。自分の高校時代を思い返すと、なんともかわいらしいものだ。
仗助がどれだけ愛されて、そしてそれを当然に相手に返して、成長してきたかがよくわかる。
以前にそんなことを本人に言ったことがあるが、呆れたように言い返された。

――― ホリィさんの承太郎さんへの溺愛っぷりもたいがいだと思いまスけど?

もちっと、承太郎さんも相手してあげればいいのに〜、と無責任にのたまう仗助をこづいた。いいワケねぇだろう、あれには、あれで十分だ。
明らかに祖母と祖父の性格まで色濃く継いだ母親を思い出してげんなりする。


新聞を片手に立ったままでコーヒーをすすっていると、軽い足音が階段を下りてきた。

″…… モーニン、ダディ″
″眠れたか。徐倫 ″

無言でうなづく徐倫のちいさな頭をかるく撫でた。空気に踊るように跳ねている柔らかな髪が、自分のいかつい手を撫でるたびに、どうにも奇妙な気持ちを覚える。そのたびに、なにか知らないものを、知らされるような感覚だ。これが自分の子どもなのだ、と。
おかしな話だが、徐倫が生まれてから、これほど長い時間をともに過ごしたのはこの7日間が初めてだった。
伏し目がちな視線が、ちらりと周囲をうかがう。

″仗助は寝ている。疲れているからもう少し寝かせておけ ″
″しらない ″
″探したんじゃないのか ″
″探してない ″

俺の手から逃れて、自分でカップを取り出すと冷蔵庫をあけて牛乳を取り出した。あぶなっかしい手つきで、それでもカップに注ぐと、じっとそれを見つめている。
仗助が徐倫にと用意した、取っ手の細い、やや小ぶりのシンプルな陶器のマグ。
やがてちらりとガスレンジを見て、つぎに電子レンジを見上げた。
電子レンジならば徐倫はもう使い方を解かっている。以前アメリカの俺のアパートメントに来ていたとき、得意げにそれでホットミルクにして見せた。

″レンジでいいのか ″
″…… ″

ダイニングテーブルのイス。そのひとつに徐倫のために置かれたクッション。その定位置の上によじ登り座っている光景ももう見慣れた。
答えない徐倫は、じきにそのままマグを口に運ぼうとした。それを、できるだけそっと取り上げる。
そのままキッチンへ向かうと、ホーローの使い込まれたちいさなパンをとりだして、火にかけた。たしかこれは仗助の母親が実家から持ち込んだものだった。その中にカップの牛乳をあける。

″ゆずってやったらどうだ、徐倫 ″

無言で俺の行動を見つめていた徐倫が瞬いた。

″ゆずる、って何? ″
″相手のことを考えて、自分が変わってやるということだ ″
″ヤダ! ″

熱を満たした鍋の内側、牛乳のフチがちりちりと振動している。
おかしなもんだな。
徐倫、もうお前は仗助によっていくつも変わりつつあるのに、それを認めたくなくいだけだ。実のところおまえ自身が、変わるまいと踏ん張っているだけなんだろう。無理をして。
牛乳は好きだが、冷たいままが嫌いだというお前に。
電子レンジではなく、こうして手間をかけて温められた味を教えたのは仗助だった。

――― ホットミルクかぁ、俺も子どもの頃作ってもらったなぁ。
――― なんか、ずーっと甘くておいしい気がするんスよね。コレで作ると、サ。

それを覚えちまって、もう電子レンジの味が嫌だと思うくせに。

″全部なんて必要はねぇ。ひとつでいいんだぜ ″
″…… ″

俺の『パートナー』だという、ただ一点でお前は仗助を許せない。
たとえば仗助が、ただの俺の『叔父』としてお前の前に現れたなら、お前はとっくに仗助を認めていたはずだ。
許すことは母親を傷つけることだと思っているんだろう。それも間違いとは言い切れない。
仗助がジジイの……父親の話を徐倫にしないのも、結局はそこなんだろう。徐倫をさらに混乱させたくねぇんだろうな。そうしてあいつは『パートナー』として、徐倫に認められようと腹をくくったんだろう。いずれはきちんと話すことだろうが、たしかにまだ徐倫は幼い。
そういう、やっかいな所へ追い込んだのは、俺の責任だ。
俺が望んだことだ。
あらゆる猥雑で困難な、未来の可能性を考えてもなお。あれを欲した。

泡をたてて煮立つ鍋を火からおろして、もとのカップに注ぐ。
徐倫の前におくと、徐倫が眉をよせた。

″まく ″
″なんだ? ″
″まく、キライ ″
″…… ″

なんだと?膜?ああ、まぁ出来るな。それがどうした。出来るもんだろう加熱すれば。
いかにも不満気な顔で徐倫がカップに口をつけ、はじかれたようにテーブルに戻した。

″熱い!! ″
″…… ″

ホットミルクだろうが。
そうは思うが、どうやら仗助が作ってやったものとは違うらしいことは察せられる。火にかけていただけだったと思うがな。

″仗助に頼むか ″

そう気が長い方じゃねぇ、ため息をついて徐倫に言うと、カップを睨んだままうつむいた。相変わらず返事をしやがらねぇ。

″仗助は ″

ガキのくせにずいぶんと頑固だぜ。俺によく似ていると、徐倫のそんなしかめっつらまで、仗助は嬉しそうに眺めていた。あれはあれで、もっと。

″ずいぶんとお前に『ゆずって』いるぜ。徐倫 ″

もっとお前は。仗助。

″努力している。お前を好きでいられる自分でいるために。だれでも、そこにいるだけで、好きあうなんて夢みたいなハナシはねぇんだよ。むずかしいか?だが、お前はもう解かるだろう ″

″俺とお前のママはもう一緒に住むことはない ″

丸くひらかれた徐倫の目から涙があふれる。すぐに、ひきつるような呼吸に肩をゆらした。手をのばすとぐずって抵抗する小さな体を、無理やり抱き上げた。
堰を切ったように、肩口で声を上げて泣き出す徐倫を抱く。

″すまん ″

母親に置き去りにされて、この家に来ても、ずっと泣くことのなかったちいさな俺の娘。
小さな拳骨で叩かれる、打撃とも言えないそれが、これまでのどんな敵の拳よりも痛んだ。




″やべっ、承太郎さん!起こしてくださいよ……って、何?!なんで徐倫泣かせてんスか?! ″

ひとしきり泣き喚いて、トーンダウンした徐倫が俺の肩から顔をあげて、入ってきた仗助を眺めた。
徐倫が目をこすろうとするのを、腫れちまう、と止めてタオルを取りにバタバタと戻っていく。ぐっちゃぐちゃの徐倫の顔と、自分の肩口を眺めてため息をついた。ヨダレ掛けがいりようだったな。

″悪いな、仗助。ホットミルクを作ってくれねぇか。どうも上手くいかねぇらしい ″
″ええ!?それで大泣きだったんスか?起こしてくれればいいのに ″

まぁ、似たようなもんだ。
肩をすくめた俺の横から、仗助が冷め切ったカップをのぞきこんだ。

″沸騰させちゃダメなんすよ ″

そういうと、勿体無い、と残された牛乳を自分の腹に収めて、カップを洗う。
そのまま湯の中に沈めて、ミルクパンに改めてパックから牛乳を注いだ。
火をちいさく絞って、そのまま鍋を見つめる。

″こうやって、ただ見てるだけ。フチがちこっとしわしわ振動したらできあがり。それだけッスよ ″

じっと見つめる仗助の横顔をながめる。
見ているだけ、それだけ、というその時間が長く感じる。
しばらくしてやっと、ぬるま湯の中からカップを取り出し、水気をふき取る。頃合いになったらしい鍋から牛乳を注ぐ。まるではかったように、ぴったりとカップにおさまった。

″はい、できあがり ″

テーブルに出されたカップを眺めて、徐倫が俺の腕から降りる。イスに座ると、そっとカップをにぎった。
たしかに膜を張っていない、なめらかな表面をじっと見つめて、次に俺の顔を見上げた。

″ん?なんかヘン? ″

俺はただ徐倫を見返した。これ以上、何かを言うつもりもなかった。
徐倫の視線がまたカップに戻る。仗助の問いたげな視線を、横から感じるが視線を合わせなかった。

「……いただきます」
″はい、どー ……″

絶句した仗助をよそに、徐倫は満足げにホットミルクを飲み始めた。
徐倫と俺との間を、いったりきたりする戸惑った仗助の視線に笑いそうになるのをこらえる。たっぷり待って、仗助を見ると、見開いた目に涙が浮かんでいる。

″……どーいうことっすか? ″
″さあな ″

ぜったい何かあるはずだ、と睨みつける仗助に肩をすくめる。さあな。徐倫がどういう意味で言ったかなんてぇ、実際のところ解かりようがないだろう?
まぁ、それでも。

″ひとつ、ってことじゃねぇか? ″

なんだよソレ、ぜっんぜんわかんねぇし!とむくれる仗助に、とうとう俺は笑い出した。  

 

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