『長月』 2・出会い 「じゃ、ゴチソーサマデシタ」 僕はぺこりと頭を下げた。 「ばかやろー、オマエ飲み過ぎなんだよっ。おかげで俺今月ピンチだっての」 「大学に更に一年分学費払うと思ったら安いもんだろ」 「お前がザルだってこと、計算に入れてなかった俺が馬鹿だったよ」 佐藤が頭を抱えると、一緒に飲んでいた友人たちがどっと笑った。 「まぁなー。お前が馬鹿だから、ノート借りるハメになるんだよなぁ」 「何言ってんだよ。お前だってコピーさせてもらってるクチだろー?」 茶々を入れる友人たちに合わせて、僕も笑った。 大学の友達と一緒にいるのは、楽しい、と思う。 時間に余裕があるせいか、何かに急かされているように、あくせくしていない。 類友、というのだろうか。自分の好きなことを勉強したくて集まっているから話も合う。 こういうとき、僕はまるい繭の中に包まれているような錯覚を覚える。 「じゃーな。また来週。・・・ってテストだっけー。」 「俺らテスト前にこんなん飲んでていいわけ?」 「いいいいっ。景気付けだから」 ・・・完全に酔っ払いの集団と化してしまっている。 僕もその中の一人なのだが。 駅の改札で友人たちと別れ、僕は一人電車に乗った。 意外と車内はすいていて、僕は空いている座席に腰を下ろした。 ゴトゴトという音と共に、暗い景色が流れていく。 電車の揺れは心地よく、酔いも手伝って知らず知らずのうちに、僕のまぶたは重くなっていった。 *** 夢を見ていた。 高校時代の、夢だった。 桜の花びらが舞っていて、それは何故か校門の側に植えられていたものだとわかった。 ああこれは夢なのだな。と意識の底で思ったけれど、それもほんの僅かなことで 僕は、すう、と吸い込まれるように夢の世界に落ちていく。 *** 最初の印象は「珍しい名前だな」だった。 靴箱前に張り出されたクラス変えの紙を見た瞬間に飛び込んできた名前。 『妹尾 聡美』 「なぁ、あれ、何て読むん?」 隣にいた友人に尋ねると、意外なほどあっさりと答えが返ってきた。 「ああ、セノオのこと?」 「セノオ、って読むんや」 「中学のとき、一緒のクラスやったけん」 「へー・・・・・・」 そのときは、それで終わった。 僕と彼女の出席番号は随分と離れていたから、席が近くになることもなかったし 変わった苗字のクラスメートが一人や二人いたからといって、とりたてて騒ぐことでもない。 そんな彼女と、親しく話すようになったのは、いつ頃からだったのか。 ゆっくりと、僕の記憶のフィルムが回りだす。 *** ふうわり、と甘い香が鼻をくすぐった。 その香りに、ふと顔を上げると、彼女が目の前に立っていた。 妹尾聡美、だった。 「ね、体育委員やったよね?」 「ああ、うん」 何か用事?という風な顔をすると、彼女は机の上に、一枚のプリントを差し出した。 「これ、今度の球技大会のプリントなんやけど。 ・・・明日の委員会で話し合うらしいから、目を通しておいて、って」 「わかった。ありがとう」 僕がプリントを受け取ると、妹尾聡美はそのまますっと離れていった。 どうして彼女が僕にプリントを渡すのか、その理由はよくわからなかったが 職員室に行ったときに、担任にでもつかまった、そんなところだろうと思っていた。 *** 目が覚めたのは、電車のゴトゴトという音のせいだ。 夢の名残を追いかけるように、ふらふらと視線をさまよわせる。 はっきりと自分が今いる場所を把握するのには、そう時間がかからなかった。 車窓から見える夜景が見慣れたものになってきている。そろそろ降りる駅が近いのだろう。 電車のクーラーで冷えたのか、ぶるりと体が震えた。 ・・・また夢を見てしまったなあ、と思った。 ここ最近毎晩夢を見る。 おかげで浅い眠りばかりだ。 少しイラついてしまった気持ちを振り払うかのように、車内を見渡してみた。 時間が時間ということもあって、車内にいる人は少ない。 文庫本を広げている女性。 入り口近くに座り、壁にもたれてうつらうつらと首を揺らしている女性。 年配の男性も正体なく眠り込んでいる。 今までの自分のようだと、少しおかしくなった。 「次は○○。○○です」 車内アナウンスが流れ、座席から立ち上がった。 徐々に景色の流れるスピードが落ちていき、ゴトン、という音と同時に電車が止まる。 電車が止まっていくときの音が好きだ。 僕の地元では滅多に電車に乗らない。 電車に乗って移動するほど、街は広くないし、本数があまりにも少なすぎる。 こっちに出てきたとき、一番最初に好きになったのは電車の音だった。 その余韻を楽しみながら、すぐ降りるつもりだった。 いつもなら。 出入り口に立ったとき、ふと夢の名残が蘇ってきたような、気がした。 それが何なのかよくわからなかったが、胸がきゅっと痛んだ。 それと同時に腕に、ほんの僅かな重みを感じた。 重みのする方向を見ると、先ほどまで眠っていた女性が僕の腕をつかんでいる。 「あの・・・・」 離してくれませんか、と続けようとしたが、それは彼女の言葉によって遮られた。 「すみません、ここ・・・もう○○ですか?」 彼女が口にしたのは、今まさに僕が降りようとしている駅名だった。 「そうですけど・・・」 腕を離してくれませんか。 僕の言葉は、またしても続けることはできなかった。 続ける前に彼女が僕の腕を離し、慌てたように立ち上がりながら叫んだからだ。 「うそ!降りなきゃ!」 今まで静かだった車内に、その声は隅々まで響き渡った。 もう一人の女性客は文庫本から顔を上げ、眠り込んでいたオジさんも 何事かとこっちを見ている。 自分がが大声を出したわけでもないのに、何となく気恥ずかしくて、 僕はそそくさと電車を降りようとした。 そのときだった。 僕は夢の名残を、見つけてしまった。 思わず足が止まる。 「きゃっ」 僕の背中に、やわらかいものが触れた。 突然立ち止まったために、彼女がぶつかってしまったらしい。 バサリ、という音がして電車の床に彼女のトートバッグが落ちた。 その衝撃でバッグの中身がばら撒かれてしまっている。 「すみません・・・・」 僕が謝らなければならないところを、彼女が先に謝った。 バッグの中身を拾おうをして、腰をかがめている。 「あ、いえ・・・こちらこそ」 僕も一緒に拾おうと、慌てて腰をかがめた。 それと同時に、入り口がプシュッという音をさせ、閉まった。 あ。と思う間もなかった。 ゴトン、という音をさせて、電車は再び動き出してしまって、いた。 主人公の最寄駅名をキッチリ決めていなかったので、いやはや何ともかんとも。 |
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