Eat with you on the weekend
3. Love call
太陽がいっぱいな港での日雇い労働を終え、並々とは異なる種類の疲労感に内心よろめきつつ、ねぐらにもどってきた筋肉系もやしっこヒュンケルは、その入り口で呼び止められた。
「お荷物が届いていますよ」
労働宿のまかないというべきか、宿屋の主人というべきか。初老の「おかみさん」に差し出されたのは、ケーキの入っているような小ぶりの箱だった。
特別ラッピングなどはされていないが、洗練された上等な紙のあまり丈夫そうには見えない箱だ。
そもそもヒュンケルにこんな贈り物がとどけられることなどついぞない。
流れ流れの日雇い人足である。定まった家があるわけでもない。
仕事の関係で差し入れがあるのがせいぜいで、とても上等な菓子箱とは縁がない。
もっとも現状はともかくも、ヒュンケルはこれまでのさして長いともいえない人生のなかでも、そんなものを受け取るような環境にいたためしがない。
無表情ななかにも怪訝なヒュンケルの様子を読み取ったのか、彼女は続けて口をひらいた。
「今朝入港したパプニカからの船のね。船乗りがついでに頼まれて持ってきたらしいですよ。ここに泊まってるヒュンケルって青年宛て、って。アバンという人から」
粗悪な紙片を見ながら名を告げられ、ついでその字を示される。
見慣れた字だ。ヒュンケルは自然に手をのべて、メモを受け取った。考えてみれば、人間の言葉でつづられた文字は、ほとんどアバンのものしか見た経験がない。
意識しなかった事実にふいに気づいてヒュンケルは口を歪めた。
「ああ、よかった。知ってる人だね。じゃ、これ」
口元の動きを、どうやら彼女は微笑みと取ったらしい。
受け取ってその箱にかけられた魔法に気づく。
てのひらに接している部分が、違和感を感じる。
ヒュンケルは魔法はからきし素養が無いが、野生の勘というべきたぐいのものは、およそ尋常に無く発達している。味覚、聴覚、触覚。ある種の視覚。
――― 狙われているかな。
あまりに身に覚えがありすぎて、かえって予想だにつかないが、この感想は「直近なんかあったかな」というものである。
まあ、ひまつぶしになるか。ヒュンケルは小箱を軽く振りながら、自分の部屋にあがっていった。
軽い上品な紙の折箱をベッドに投げると、ヒュンケルは肩を回すように腕を振りながら、おなざりに前をはだけたま羽織っていた上着を椅子の背にかけた。
薬効のおかげで日焼けとまでは至らなかったが、皮膚の表面が熱を持っているように感じられる。
汗でしめった上着を洗いに出すか、すこし迷ってにおいを嗅ぐ。それなりの臭いにあきらめて、部屋を降りて再び女将にいくばくかのコインを渡して、その横手のドアを開けて中になるカゴに放りこんだ。
自分で洗濯場で洗うこともできるが、むさくるしい男ばかりの宿泊場である。大抵の場合、こうして頼んだほうが、よほど清潔ですばやく出来上がる。
「もう今日はおしまいかい」
軽く肩をすくめてヒュンケルは階段を上がった。
ヒュンケルは上着を1枚しか持っていない。
それを洗いに出すのだから、今日は店じまいということだ。
冷たい水を浴びたいな。と思ったが、あの男がそろそろ起き出すころかと考え直した。
たわいもない遊びは日に一度で十分だ。
そのうちエスカレートして、入れるんだか入れられるんだか、やりたがるようになる。遊びでも。
肉体だけの快楽なんてのはそんなものだろう。
そして最悪なことに、あの男とは体の相性が良さそうだ。
そろそろ河岸を変えるか。この街は仕事が多くて、ささやかながらいくらかの蓄えもついた。しばらくぶらりとして、手元がさびしくなったらまた街に。気楽なもの。
それでもまだ人の中でくらそうとする自分が笑える。以前なら思いもしなかったろう。だが、山にこもったり、人外魔境ではアバンはそうそうたずねてこれまい。つまりはそういうことだ。
ヒュンケルはベッドに腰掛けると、折箱を手に取った。乾いたざらついた紙を透かしてみる。
中身は伺えない。
鼻先に近づけると、かすかに清涼感のあるハーブの香りがした。何の香りかな。記憶をたどりつつもぼんやりと、アバンからだと確信する。
開けられない箱。魔法の箱。
手に力を込めると紙の箱はたわむが、緩めるとすぐに元の形にはねもどるようだ。
ためつすがめつ箱を手の内でころがす。
ばたりと仰向けに転がって、箱をかかげると、口をゆがめた。はっきりと笑みの形に。
魔法の使えない男の、魔法の解き方など限られている。
ヒュンケルはうやうやしく小さな箱に口付けた。
ぱちん、軽くはぜる音とともに箱が解け、中身が落ちてヒュンケルの脇に転がりとどまった。
目の端にかすめた影に笑いがこみ上げる。
けっきょくは喉をならすだけだったが、ネコ科の大型動物が好物をぶらさげられたような音は、十分に機嫌のよさを伺わせるものだ。
ヒュンケルは起き上がると、その反動で弾むベッドから落ちかけた贈り物をつかんだ。
一瞬洗濯物の中に投げ込んだ上着に意識がいったが、あのなかから取り出す気にはなれずに、そのまま窓辺によった。沈んだ陽の名残が、空を曖昧な色に染めている。上空はすでに夜の色をしていた。
手にあるものを軽く咥えると、窓を開け木枠に両手をかけて、懸垂の要領で体を持ち上げると桟に足をかけて体を外側に押し出す。
しなやかで、あざやかな身のこなしが静止するかというところで、アイテムの起動がはなつ光が体を包む。
ただアバンのいる街を想って。
翼をもたない男に贈られたニセモノの翼はあやまたずに、パプニカへと微かな光の軌跡を空に描いた。
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