Eat with you on the weekend

4. キスしたい。


 
アバンははなはだ後悔していた。
 
生涯の中で後悔という言葉は、あまりアバンの中では使用頻度の高い部類ではない。
彼の信条はもっぱら「なぜばなる、ならんでもなる、だめならさせる」というもので、ぎりぎりわがままとポジティブシンキングの境界線を行き来して、往々にして思うとおりにしてきた。
 
つまり思い描いたことは(騎士団入隊だったり、勇者になったり、平和だったり)
まあ叶う(だってわたしは才能に溢れているから!)
駄目なら努力してみる(才能に努力、これで駄目ってことはまあない!)
それでも万分の一駄目なら、人にさせる(弟子ってそんなもんじゃない?)
 
後悔の余地はそうはない。
だがその狭い猫の額、ウサギ小屋のような後悔地に、主のように居座る存在がある。
ヒュンケル・・・・・・である。
ため息はもはやあの名前とセット、いやむしろ、やつの名前は「ヒュンケル(ため息)」としたほうが正しいといっても過言ではない。
もと養い子の「ヒュンケル(ため息)」。
私を殺す気まんまんな「ヒュンケル(ため息)」
グレて顔色の悪い輩とつるんでいた「ヒュンケル(ため息)」
女子の膝枕で改心した「ヒュンケル(ため息)」
むちむちぷりんの膝枕で・・・・・・・ぬおーっ!うざっ!!
くそー、私の膝はそりゃ固いさ!胸も固いし、ってかお前のがよっぽどムキムキじゃねーかっ。
ああ!そうだろうとも、お前の振った巨乳ともある意味はれる胸板だよな!
私が穴倉にもぐって風呂も入らず、ひげも当たらず、モンスターどもと戯れてるあいだに、いい目見やがってー!
 
「・・・・・・・ていうか、それでなんで私なのよ」
 
アバンはぐるぐると回る思考に疲れ果てて、がくりとソファーに懐くとボヤいた。
喰らうようなキス。
重苦しい抱擁。
色の無い瞳の、その情にこわい目のプレッシャー。
並みの女なら悲鳴をあげそうな、その求愛。
 
「アバン」
 
台詞は名前だけなのに、そこに淫らな欲をのせていて、冗談だろうと笑うこともできなかった。
誤魔化しがきかない。思い至らないなどありえない。
それこそ冗談みたいだったが、目ばかりぎらぎらした痩せた子供は、その視線の力だけはそのままに二枚目に成長していた。
アバンは性別はほとんど気にしたことがなかった。
簡単に言えば面食いで、長い手足が好みだ。男でも女でも、自分のような華のある美人より、毅く凛とした美人がより好み。
ヒュンケルはおそろしくアバン好みの容姿になっていた。筋肉のつき方、体のラインは理想的だった。
過不足無い筋肉におおわれた身体の、若く鞭のようにしなる、その動きが目に浮かぶようだった。
抜き身の刀身のようなうつくしさ。
贅沢を言えば、もうすこし涼しげな、さわやかな目が好みだった。
はずだったが。
今となってはどの身体的特徴よりも、あの射るような目が、腹の底を焦がすと認めざるをえない。
生い立ちが原因の近眼なだけで、実際さして見えるわけではないのだ。
だが何もかもひんむかれているのではないかと身震いする。
同時に暴かれたいというかすかな欲望を感じる。いや、知らしめたいのか。
この腹にくすぶる欲情を。
抱けるのかな、とも思う。男女の別を意識はしないが、実際に男性と関係を持ったことはない。
そういった嗜好は少数派だ。とくに、アバンの生きてきた社会は後継問題がかかわることが多く、さらにタブー意識が強い。
それでもどういうわけか、性的な意識を刺激する相手は男にも女にもいた。
一瞬その唇にキスする自分を想像する。気持ちよさそうだ、と思えば、なるほど自分にはあまりタブーが無いらしいと自覚せざるおえない。
それはさして難しいものでもなかった。
普段はそれ以上考えないようにしている。だが今回はするべきだろう。特定の相手が男なのだ。
唇はもう味わった。
思うよりはやわらかく弾力があった。自分よりすこし温度の低い舌に身震いがした。熱量は低いところへ流れる。自分の熱で育ててみたいと思い、実行した。離れる唇を追いかけて、舌を絡ませる。ざらりとすりつけた。やっと離れた頃には、ヒュンケルの息も熱かった。
そうして実際にはなかったその先を想像する。
胸をたどり、腹を這う。
さらにその下を。
アバンはため息をついた。咥えられるな。
嫌悪はないだろうと思う。

執務室はたそがれのわずかな残り火だけで、灰色に沈んでいた。
今日はもう仕事は切り上げていた。役人たちも部屋からはさがっている。すでに退宮しているだろう。
それくらいの時間を、来客用のソファーにありえない姿態でだらしなく転がっていた。
たぶん欲求不満なんだ。アバンは髪型を崩すようにざらりと後ろにかきあげるように撫でた。
自分で処理しようとすれば、どうしてもあの男を思い出す。以前のようにただの処理以上に意識してしまう。酷くくやしかった。
腹立ちまぎれに、あんなものを送りつけてしまった。
シュミの木を削りだして作ったペーパーナイフとキメラの翼。
特別なものではない。旅人のお守りもかねた実用的品として、シュミの木や香木のアイテムは道具屋にいけばいろいろある。ブレスレッドだったり、ベルトのバックルだったり装身具が多いが。
結合を意味するのだ、という話を聞いたあとで、それを断ち切るような道具を選ぶ自分は、たいがいひねくれているな、とは思う。
それを開かない魔法の箱に込めた。紙の箱だ。
暴いて欲しいが、暴かれたくない。求めているのに、それを知られたくない。
もう互いに明らかだというのに。

開けられていた窓のカーテンが、かすかに風をはらんで揺れるとほとんど同時に、頬をなでる感触でゆっくりまぶたをあげた。

「アバン」

ほとんど太陽の加護の失せた、紫暮れた色にそまるヒュンケルは、唇のはじにわずかに笑みが見て取れる。
さわやかには程遠いが、こんな自分だけの笑みもいい。
アバンは微笑んだ。

「……お願い」

キスして。

その言葉は覆いかぶさる唇にかき消された。

 

 

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