THANATOS

3


 
快楽と疲労とがないまぜになった、どこか満ち足りた体を抱きとめられるままに、アバンはヒュンケルの腕の中におさまった。
さすがに大の男二人ではベッドは狭い。こうして体を組み合って収まる居心地のよいポジションも、この数年で覚えたもののひとつだ。
ヒュンケルとの性交は、アバンにとっても予想していなかったことだった。ただ、この手を離さなければこのままそうなるだろう、という瞬間があり、アバン自身で離さないと決めたことだった。
それでもこの年の十も離れた弟子が、自分に欲情する日が来るとは。世の中判らないものだ。
 
「実はほとんど経験がない」
 
ヒュンケルは、はじめてアバンの胸元にくちづけながら、白状した。
 
「よかった、実は私もあまりないんです。特に男性は初めてで」
「慣れていると、手ほどきされるのも複雑だが、初心者ふたりで同性とはすこし不安だな」
「あなたでも不安なことはあるんですね」
「笑い事じゃないだろう、先生。しくじったら痛い思いをするのはあんたの方だと思うぞ」
「……え?」
「悪いな。抱く」
「本気ですか」
「実はかなり切迫している」
 
しばらく前から、抱きたくて想像していた、とあけすけに告白されて、アバンは顔を赤くした。
 
「趣味が悪い」
「許してくれるあんたが?」
 
そういって、せつなく笑うヒュンケルに、アバンは泣きたくなった。不思議だ。どうして私たちはこんなふうに、出会い、憎み、また愛そうと不器用に手をとりあうのだろう。
どうしてやさしく愛してくれた女性たちでは駄目だったのだろう。
血なまぐさく、汚れ、傷だらけの筋張った体が、どうしてこんなにいとしいのだろうか。 やはり自分たちには長い戦いの日々で、目には見えない何かが欠けてしまったのかもしれなかった。
そうして初めて抱き合った体験は、けして快楽だけではなかったが、ふたりを満たした。
 
今となっては、アバンは抱かれるという行為自体にも快感を得られるし、ヒュンケルもずいぶんとアバンの体を覚えた。アバンを抱いているときの顔は、扇情的だと思うほど快感に濡れていると思う。
それでも一番に得られるのは、すり減った何かが埋め合わされるような、触れ合うことへの心の充足感であることは、今も代わりが無い。
初めてのときにヒュンケルが図らずも言ったように、許しを請いたい相手も、与えたい相手も、お互いであったということかも知れなかった。
 
「いつか」
 
アバンはすこし掠れた声で、ヒュンケルを呼んだ。
 
「……こんなふうに、あられもないときに、仲間がたずねてきたらどうしよう、と思うときがあります」
「知られるのは嫌か」
「嫌というのとも違いますが、……複雑」
「俺は言ってしまいたいと思うときがある」
「私もですよ。でも……見ちゃったほうは災難でしょうねぇ」
 
肩によせた頭に軽い振動が伝わる。どうやら、ヒュンケルは笑ったらしい。
アバンも笑って、少しばかりのび上がると、耳元にキスをした。
 
「そういえば、先週ポップが立ち寄りましたよ」
「ニアミスだったか。災難にあわなくてよかったな」
 
たしかに、と肘をついて頭を上げたアバンの体を、ヒュンケルは自分の上にひっぱりあげようとする。
 
「重くないんですか」
 
あきれてアバンが言うと、それがいいんだと、もうどうしようもない返事が返ってくる。あきらめて、ヒュンケルの胸の上で手をくんで、その上にあごをのせて見下ろした。
 
「魔界のこと、考えているようです」
「そうか」
 
ポップは最近マアムと一緒にくらしはじめた。だいぶ前に、マアムはポップの気持ちを受け入れたようだったが、ふたりは新しい生活に躊躇していた。
ダイとレオナのことが気になっていたのだろう。それでもやっと気持ちを切り替えたようだ。
もちろんダイの探索をあきらめた訳ではない。むしろふたりで補い合うパートナーとして、以前よりも勢力的に率先している。
 
「そろそろ言い出すんじゃないかとは思っていたんですが」
「止められるか」
「以前から考えていたはずですが、これまでそれをしなかったのは、方法が見つからなかったからでしょう」
 
デルムリン島の洞窟は、アバンがハドラーを討った最初の戦い以来封鎖されている。人間側で公に認知された魔界への入り口は今のところ無い。
 
「見つけたか」
「いえ、まだ。でも気づいたようですよ、あなたを探しています」
 
地上の探索もしつくした、ということは無いだろうが、それでもこれだけの年月、多くの人間が探して見つからないのだ。消え方が尋常でない以上、次元移転を想像するのは当然だろう。むしろ新しい希望が欲しい時期になったとも言える。
 
「地底魔城に気づいたか」
「破邪の洞窟のこともきかれましたがね」
「あれは神域だ。繋がっているとすれば冥界だろうな。どれほど下ればいいのか想像もつかないが」
「マグマで封じられたのが、一部だと気づくこともあるとは思いましたが」
「どこかで跡を見つけたかな」
「たぶんそんなところでしょう。偶然扉をみつけて、魔界に入ってしまうことはないでしょうね」
「まずない」
 
アバンはため息をついた。
以前にヒュンケルから聞いていたことだが、心配はぬぐいきれない。
かつてハドラーが居を構えた地底魔城は、人界と魔界をつなぐ異空間の人界に面した一部である洞窟に築かれたものだ。
世界各地に魔王軍があらわれたのは、何も地上を行進してのことばかりではない。その空間を移動して、それぞれの出入り口を地上に開けたのだ。
当然魔王軍側からは自由に行き来できるが、人間が容易に利用できるものではない。その扉を見つけることすら不可能に等しい。だがまれに、廃棄された出入り口の跡を見ることがある。ふつうならば、村があったのか、だれかの住まいがあったのか、といった程度で気に留めないだろうが、ポップたちならば、それが人間によるものでない跡であると気づくことはありえる。
現在も通じている扉を見つけることが全く無いとは限らない。アバンはかつてそれを成しえている。それでも地底魔城という、いわば出城へのりこむならともかく、深部である魔界への道行きはさらに可能性に乏しい。
 
「でもそんな奇跡をあの子なら、思わぬちょっとした失敗とか偶然からおこしてしまうんじゃないかと心配で」
「魔界にはラーハルトが行っている。と知ったところで、任せて欲しいが、同行しようとするだろうな」
「なんで魔界にいっていることを、知らせなかったか、怒るでしょうねぇ」
「せっかく拾った命を縮めるだけだ」
「……そういうあなたは行ったんじゃないですか?」
「人に戻ってからは一度だけだ。ラーハルトに早々に追い返された。その後は連絡を取り合うために、境界まで行っているくらいだ」
 
最初にここを訪れた時がそれだった。ラーハルトは俺をここに送ってきたんだ。信用がなくてな、俺だって足手まといになるとわかっていて、我を通すつもりはないんだが。
ヒュンケルはめずらしく、愚痴るようにつぶやいた。よほどラーハルトとやりあったのだろう。
 
「うちは託児所あつかいですか」
「あんたに執着する気持ちを、あいつは見透かしていたようだからな」
「……」
「まさかこんなことになっているとは思わないだろうが」
 
ヒュンケルはアバンの肩を抱き寄せた。引かれるままに、頬あずけると、心音が伝わってくる。
 
「……できるだけ引き伸ばしてくれ。どうしても避けられない時が来たと、あんたが判断したら、俺もラーハルトとわたりを付ける。必ず同行させないと……。だが……やはり行かせたくないな」
「やはり人間には耐えられるところではないですか」
「根本的に人間の体では無理だ。暗黒闘気を扱えればまだしもだが」
「ダイくんのいる可能性はやはり低いでしょうか」
「……どうだろうな」
 
気休めなどという考え方をもたない男だ。ヒュンケルは確信がないことにけして応えない。逆に、ありえない、という固定観念もあまり持たない。
融通のきかない不器用な男だと思う。アバンはため息をついた。
あれから五年が経っている。ダイが負傷したとしても、何らかの結果がでるに十分な時間だ。それならば、戻れない理由が何かあるのだ。
そして仲間たちは、それがダイ自身の意思であることを怖れている。
人々の恐怖の対象となるならば、自ら地上を去ると言ったダイの覚悟を怖れているのだ。
 
「ダイくんさえ戻ってくれば、誰も好き好んで魔界くんだりまでしないんですけどねぇ」
「俺がもう少しまともに動ければ、魔界のほうもこんな風にはぐらかさなくてもいいんだが」
「駄目ですよ、そんな体で魔界なんて。地上でモンスターと遭遇するのも心配なのに」
「やれやれ」
「どうしても必要なら私が行きます……ヒュンケル、あなた自分のことを棚にあげて、そんな『絶対反対』って目で見ないでください」
「何も言って無い」
「じゃあ、いいんですね」
「駄目に決まっている」
 
そうしてお互いにため息をついた。まだまだ現役のつもりでいるし、実際並々ならぬ実力をいまだに維持していると自負してはいるが、人間の枠から出るものではない。 ことさら最近は限界を感じることが多い。
 
「やっぱり年をとったってことなんですかねぇ」
 
もうヒュンケルにはアバンのぼやきに返事をする気はないようだった。

 

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