THANATOS
4
まどろむなかで、ふいに喪失感をおぼえて、アバンはうっすらと目を覚ました。
かたわらで眠るヒュンケルが離れたせいだ、と気づいて意識を周りに向けるが、朝の気配はない。どれくらい経っているのだろうか。
未明のことさら空白を抱えたような暗さが、静けさが耳を打った。
「ヒュンケル?」
小用だろうか。不意に足元ちかくにヒュンケルの気を感じて、アバンの意識は一気に覚醒した。
「ヒュンケル!」
ベッドを抜け出そうとして、そのまま力尽きたように、片腕だけを残して床に倒れるヒュンケルの腕を、アバンは起き上がって掴んだ。
その冷たさに慄く。
思わず力の入った手に、そっと汗ばんだ手が重ねられた。
「……大丈夫だ。すぐに、……おさまる」
「どうしたんです、どこが苦しいんですか。ヒュンケル」
アバンはヒュンケルの脇に腕をさしいれて、ヒュンケルのくず折れた体をベッドに引き上げた。汗ばんでいるのに、冷え切った体を抱く。
肩をさすり、頬に掌をあてて、その目を覗き込む。
「ヒュンケル」
なかなか応えようとしないヒュンケルの、意識を自分に向けさせるように、アバンは声を強めた。原因がわからないでは、どうしようもない。
「……すこし背中が痛むだけだ。職業病……だろう」
「それを言うなら後遺症ですよ。でも」
ヒュンケルの気が酷く乱れている。そうそう表に出さない、やせ我慢の大得意な彼が、アバンに覚られるほどの乱れようだ。「すこし」な訳があるまい。
「以前から?気づかなかった」
「……いや、最近な。……あんたの言う『年』かな……」
「何言ってるんですか」
肩を抱いてぬくもりを分けながら、片方のてのひらで、背中をさする。
観念したのか素直にアバンに体を預けるヒュンケルの、アバンの肩口に当たる呼吸が熱い。
ふいにさするてのひらに、違和感を感じて手をとめた。
なんだ?
アバンは違和感に戸惑った。あわてて体を起こして、ヒュンケルの背中をあらためる。
「これは」
傷痕があるばかりなはずの背中に、文様のようなものが浮かびあがっている。文字のようなものまで見られた。
「ヒュンケル、これは何です?」
「……何かあったか」
「呆れた、気づいていないんですか」
手に感じた違和感は、魔力にも似た力のせいだ。だがこれは何だ。
アバンは自分の実力を過不足無く認知している。それでなお、自分の知識の広さは世界でも十指に入る、と自負してもいる。
しかしヒュンケルの背に浮かぶ文様を判じかねた。文字を追うが、やはり読み解けない。
それでもどこかで見たことがある、と必死に記憶をさらう。
「何か呪文をかけられるようなことが?」
「さぁな……呪われる心当たりなど無数にあるからな」
「まったく」
息苦しいなかでも、どこか緊張感にかけた応えにアバンはため息をついた。
そしてじりじりと苛立ちを覚えながら、その文様をなでる。原因の分からないものに、むやみに手出しは出来ない。
そうして文様と文字が徐々に増えているのに気づいた。
「しばらくすれば治まる」
ヒュンケルの言葉通り、文字の侵食が止まり、痛みが引く頃には、ほの明るくなってきていた。
そして文様と文字は、消えることなく、ヒュンケルの背の半分ほどにも達していた。
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