THANATOS

5


 
「ディーノ様」
 
ダイは自分を呼ぶ声にふりかえった。じぶんよりずっと幼い、しかしながら自分よりもずっと長くこの世界に在るという少年を振り返った。
一面の砂地と岩、そして眼下にひろがる河。
ダイは崖のようにせりだした岩場に立っていた。
『ディーノ』と名乗ったのは自分自身だ。この名を使うことがあるとは思わなかった。父と母が祈りを込めて自分につけた名前。けれど長く知ることすらなかった名前。
目覚めたとき、はじめに自分が生きていたことに驚いた。
そして、目覚めた自分を見守る子供たち。
五、六歳といったくらいの者から、せいぜい自分よりすこし上と言った程度しかない。どれも若く、見慣れない服装をしていた。
何よりどこか今まで見てきた人間とは違う何かを感じさせる。
 
------- 違う。人間界じゃない。
 
ダイは目を閉じた。その目には、仲間たちの姿が過ぎ去る。大切な、大切な人たち。彼らは無事帰れただろうか。彼らの日常に。
もう戦う必要はないはずだ。自分は役目を果たした、それは誇れるはずだ。だからもう、悲しまない。
彼らの世界に自分が存在しなくても。
 
「竜騎士さま」
 
かけられた言葉にダイは驚いて再び目を開いた。
 
「竜騎士さま」
 
自分を知っている?それとも父さんのこと?
中でも年長と思われる少年が一人進み出てダイの前で膝をついた。
 
「俺たちを、この世界をお助けください。竜の騎士よ」
 
ここはどこなのか、少年たちは何者なのか。どうして自分なのか。
疑問はかすれた声にのって少年たちに届いた。やっと返された反応に、周りの少年たちの緊迫感が和らいだ。
 
「ここは冥界です」
 
冥界。ではやっぱり自分は死んだんだろうか。ダイは記憶の最後をたどりながら、無意識に自分の胸にてのひらをあてた。かすかにてのひらにつたわるこの鼓動は幻なんだろうか。これが死後の世界?
 
「レテを渡っても、忘れられない強い念を残した魂が作り出した中州のような世界です。ここで生身の肉体を持つのは、冥界の神とあなただけです」
 
……レテ。
 
「そうです。忘却の大河、生前のすべての自我を洗い流す場所。そして、洗われ還った魂が流れる命の河そのものです。
その河を越えても忘れ去れない強い執着を持つ魂が、生前のように生活する疑似世界がこの冥界です。人も魔族も、少ないけれどモンスターも混在しています」
 
生きているのか。ダイはため息をついた。
あきらめていたはずなのに、やはりどこか嬉しい。やはり仲間のいる世界ではなかった。それでも、生きていることが嬉しいと感じるのは、再会を期待しているからだろうか。それとも本能というものなんだろうか。
ダイはぎゅっとこぶしを握った。
 
「今、冥界は危機に瀕しています。冥界の神の死期がおとずれているのです。このままでは、この世界はさらに深淵の奈落に飲み込まれてしまいます。
それだけじゃない。僕たちのように虚無の体を持つ者の中には、人間界へ出ようとする者もいます」
 
目を見開くダイに少年は懇願した。助けてください、僕たちは奈落に堕ちたくない。三界の神々に背いて人間に侵蝕したいとも思わない。
死んだ魂が、よみがえるには生きている者の犠牲が必要です。死者が生者を喰らえば、三界の摂理を乱すことにもなる。
 
「竜の騎士は三界の均衡を守るために、神々から力をあたえられた存在。だからこそ、この世界にも生身でありながら来ることが出来た。
どうかこの……」
 
冥界の神に -------。
 
あれからどれくらいの時間がたったのだろうか。この世界の時間の流れは酷くあいまいだ。
ダイはじぶんのてのひらを眺めた。記憶にある自分の手はもう少し小さくなかっただろうか。
けれど目覚めてから行動をともにしている少年たちは、まるで変わりは無い。ずっと変わらないのだ、と笑う顔は自分と同年代のようにしか見えなくて、ダイは困惑した。
少年たちが変わるとしたら、それは自分の死を受け入れて、旅立つ決意がされたときなんだと聞かされた。
たとえば。
この冥界で生前のように疑似生活をしているうちに、自分がなんで旅立てなかったのか、その執着自体を忘れてしまったとき。
誰かに執着して、とどまり、その誰かもまたここへ至ってめぐり合えたとき。
あるいは、全てをあきらめてしまったとき。
中には、自分が死んでいる魂の存在だということを、忘れてしまっている者も多くいるという。生前とかわりなく、この冥界でまぼろしの日常を過ごし、再び『死』を得ることで、こんどこそ旅立っていく。
ある者は天界に、ある者は再び人間界や魔界に、ある者は奈落に呑みこまれて、まったき無に。
しかし自分がどこへ行くのかは分からない。だから死してなお怖れる。
最初のときに、心を残さずに、すべてをゆだねてしまえれば楽だったのに。
そういって笑う少年たちはたしかに外見は子供であるのに、大人のような、ともすれば老人のような奇妙な表情をしていた。
 
ダイは目覚めてから、この少年たちの暮らす集落に身をよせた。
あまり大きくはない、寂れた砂漠の中のふしぎな街だ。
大人がいないのだ。そして赤ん坊のような小さすぎる子供もいない。砂がいつも靴の中にはいっているような、あまり暮らしよい環境とはいえないが、それでも少年たちはここで暮らしていた。
 
「錯覚なはずだけど、お腹がすくんです。食べなくたって死なないけど、食べることもできる。生きていたときにしていたことは何でもできます」
「どうせなら、考えるだけで何でも湧き出てくるとかならいいのによ。食い物とか金とか。そうじゃねぇとこも生きてたときと一緒。畑をたがやしたり、放牧したり、そういう『仕事』もあるんだ」
 
『金』だってあるんだぜ。死んでまで金はもっていけない、とかってよく言うじゃん。でもあの世も金の沙汰次第ってほうがホントだった。
そういって笑うのはダイと同じくらいの年かさの外見をした、パチュリーという黒髪の少年だった。仲間内では『パーチ』と呼ばれている。いたずら小僧というような表情で、どこかいつも面白がってダイを見ている。
 
「……どうやって持ってくんだよ。ディーノさま、いちいちこいつの言うことを聞いてやる必要ないですからね!ネルがちゃんとしますから!」
 
応えるフェンネルという少年は幼い外見に似合わず、しっかりしていて、誰に対しても物怖じせずはっきりものを言う。亜麻色のくるくると巻いた髪で、茶色の瞳とそばかすが印象的だ。
このふたりがダイの世話役らしく、たいがい近くにいた。
 
「おれ、働かなくていいのかな」
「いいんだよ。俺たちは戦闘要員だからな、そのうち嫌でもこき使われるさ。騎士様、そんときは一発ドラゴンビームよろしく」
「ビー……ムは無理だよ」
「パーチ!」
「死んでまで戦争やろうってんだから、お前らほんっと真面目だわ」
 
目をつりあげて抗議するネルをあしらいながら、それでもいざとなったら息があいそうな二人を見てダイはため息をついた。
 
「どした騎士様」
「お前にあきれてんだろ」
 
冥界の神と呼ばれる存在は死に瀕しているという。
『神』というのは死ぬのだろうか、とダイにはよくわからないことばかりだった。少年たちにもどこまでこの冥界のことが分かっているのか。
しかし、少なくともこのままではこの世界は、今のカタチを失いつつあるのだということは確かなようだ。
いくつかの有力な存在が核となって、それぞれ新たな『神』となろうとしている。
その中でもダイにとっても無視できないのが、失われつつある冥界から人間界へと侵攻しようとしている一派だ。
それぞれの思惑で、今は冥界のなかでの勢力争いが激化している。
ダイが少年たちの求めのままに『神』になる、ということは今のところ考えられなかったが、やっと平和を得ているはずの人間界をこの争いの中に巻き込みたくなかった。
たとえ二度と帰ることができなくても、仲間たちには平和な世界で生きていってほしい。
強く、哀しく、やさしい人たち。
 
「おれの親友にパーチと気が合いそうな人がいるよ」
「へぇ、じゃあ、そいつが来るまで元気に死人やっとかないとな」
「パーチ!!」
 
どつき漫才となりつつある二人を眺めて笑いながら、ダイはかつての世界の仲間を想う。
ポップ、マアム、……レオナ。
 
----- みんなに会いたいよ。

 

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