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文献目録

□中世万之瀬川下流地域に関する研究文献

江平望「古代末期の薩南平氏」(『知覧文化』9、1972)

五味克夫「平安末・鎌倉初期の南薩平氏覚書」(鹿児島大学法文学部紀要『文学科論集』9、1973)

江平望「中世加世田別府史」(『笠沙町郷土誌』上、笠沙町、1991)

宮下貴浩「持躰松遺跡の遺物から見た中世の南薩摩について」(『鹿児島中世史研究会報』52、1997)

宮下貴浩「鹿児島県持躰松遺跡と出土陶磁」(『貿易陶磁研究』18、1998)

金峰町埋蔵文化財発掘調査報告書10『持躰松遺跡 第一次調査』(鹿児島県金峰町教育委員会、1998)

大庭康時「博多遺跡群の発掘調査と持躰松遺跡」(『古代文化』55−2・3、2003)

市村高男「11〜15世紀の万之瀬川河口の性格と持躰松遺跡」(『古代文化』55−2・3、2003)

宮下貴浩「山岳寺院と港湾都市の一類型」(『古代文化』55−2・3、2003)

中村和美・栗林文夫「持躰松遺跡(2次調査以降)・芝原遺跡・渡畑遺跡について」(『古代文化』55−2・3、2003)

山本信夫「12世紀前後陶磁器から見た持躰松遺跡」(『古代文化』55−2・3、2003)

江平望「阿多忠景について」(『古代文化』55−2・3、2003)

□唐坊にかかわる研究文献

正木喜三郎「筑前国野坂別符と輸入陶磁器」(『地方史研究』232、1991)

正木喜三郎「中世の宗像大宮司と海」(川添昭二・網野善彦編『中世の海人とアジア』海鳥社、1994)

宮武正登「中世唐津の市と港」(中世都市史研究会編・中世都市研究四『都市と宗教』(新人物往来社、1997)

津屋崎町史編さん委員会編『津屋崎町史』通史編(津屋崎町、1999)

津屋崎町教育委員会『津屋崎町文化財調査報告書』19(福岡県津屋崎町、2002)

服部英雄「旦過と唐坊」(中世都市研究会2003九州大会資料集)

田上浩司「在自西ノ後遺跡」(中世都市研究会2003九州大会資料集)

□唐人町にかかわる研究文献

小葉田淳「近世初期中国人の来渡帰化の問題」(同『金銀貿易史の研究』法政大学出版局、1976。初出1947)

小葉田淳「唐人町について」(同『金銀貿易史の研究』法政大学出版局、1976。初出1947)

中村質「近世の日本華僑」(箭内健次編『九州文化論集2 外来文化と九州』平凡社、1973)。

□関連する拙稿

柳原敏昭「西の境界領域と万之瀬川」(村井章介・佐藤信・吉田伸之編『境界の中世』山川出版社、1997)

柳原敏昭「中世の万之瀬川下流地域と持躰松遺跡」(金峰町埋蔵文化財発掘調査報告書10『持躰松遺跡 第一次調査』金峰町教育委員会、1998)

柳原敏昭「中世前期南九州の湊・川・道」(藤原良章・村井章介編『中世のみちと物流』山川出版社、1999)

柳原敏昭「中世前期南九州の港と宋人居留地に関する一試論」(『日本史研究』448、1999)

柳原敏昭「『北からの日本史』と『南からの日本史』と」(村井章介・斉藤利男・小口雅史編『北の環日本海世界』山川出版社、2002)

柳原敏昭「唐坊についての補説」(『旧記雑録』月報23、2002)

柳原敏昭「二階堂氏の所領と海上交通─阿多北方の位置づけを考えるためのノート─」(入間田宣夫編『日本・東アジアの国家・地域・人間』(入間田宣夫先生還暦記念論集編集委員会、2002)

柳原敏昭「平安末〜鎌倉期の万之瀬川下流地域─研究の成果と課題─」(『古代文化』55─2、2003)

柳原敏昭「九州の唐坊・唐房の由来を探る」(服部英雄編『地名を歩く―地名が囁く知られざる歴史』新人物往来社、2004)

柳原敏昭「中世の日本の北と南」(歴史学研究会・日本史研究会編『日本歴史講座4中世社会の構造』東京大学出版会、2004)

柳原敏昭「中世万之瀬川下流地域の様相について」(羽下徳彦編『中世の地域と宗教』吉川弘文館、2005)

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柳原敏昭(東北大学大学院文学研究科助教授) tyana@sal.tohoku.ac.jp