5 Dannyの話 

僕は80年5月6日、アメリカ・ロスアンジェルスで生まれた。僕が生まれる2年前の78年に家族全員がアメリカに移民した為に、僕は96年末韓国に渡って来るまで韓国という所に対して実際は知ってることがほとんどなかった。

幼い頃の僕の姿は今とは違い、うるさくて問題児の典型のようなわんぱくな子供だった。近所中を暴れ回って遊んでいた。子供の時は子供達がお互いに人種の違いに対して何とも思わずいたので、白人だ黒人だと分け隔てなく、仲良く遊んでいた。

しかし、高等学校に進学した頃から韓国人は韓国人とだけ、黒人は黒人とだけ、白人は白人とだけで遊ぶようになる。
更に奇異な事実は子供の時に一番仲良くて、夕方にはお互いの家で一緒に食事もしていた友達が歳をとるにつれて、会っても知らん振りをするということ。僕もそういうことを何度か経験した。本当におかしなことだ。

子供の時はスポーツが得意で、いろいろやった。小学校(ウォールナット小学校)の時は学校野球の代表選手として活躍した。アメリカンフットボールと野球はかなり上手い方だった。兄が野球選手として目立っていたので、自分も自然と野球をするようになった。兄は投手として活躍していたが、肩を壊してしまいやめてしまった。僕は主に一塁や二塁を任されていた。

そういえばLAロジャースに韓国人パク・チャノ選手が進出した時のことが思い出される。95年だったから僕が中学生の時だ。「わぁ、こんな大きい舞台に韓国人が立つなんて…」と感じて誇りに思ったことが記憶に新しい。パク・チャノ選手があまり上手くいかなくてマイナーリーグに落ちた時は当然心が痛くもなったけど。僕が韓国に帰って来た後、非常に活躍してマスコミの注目が集まったと聞いた。

僕が韓国の音楽も触れたのは92年、つまり12歳の時だった。それまでは韓国の音楽を知ることもなく、聴く事もなかった。たまに耳にする程度だった。
そんな中で僕が知っている曲はイ・スンチョルの『アンニョンイラゴ マラジマ(さよならと言わないで)』だった。この歌はメロディがとてもよくて、真似して歌っていた。
そんな僕が92年にソテジワアイドゥルの音楽を聴いた。韓国に住んでいるおばさんがアメリカに来た時にそのアルバムを持ってきたのだ。歌がとても特異だった。韓国にもこんな音楽があるなんて知らなかった。その時まで僕は韓国音楽にはトロットやバラード以外にないと思っていた。

その後も特に気に留めることもないまま94年にロスアンジェルスでドリームコンサートがあった。韓国で人気がある歌手の大部分が出演した大規模なステージだったので大きな話題を呼んでいた。
ソテジワアイドゥルをはじめDEUX、キム・ウォンジュンなど沢山の歌手が出演して、僕はもちろんそのコンサートを観に行った。すごいステージだった。
そのコンサートの後韓国音楽に対する僕の関心はグッと強くなった。そうして地元のビデオショップを僕の家に行くみたいに通いながら、韓国のショープログラムとランキング番組のビデオを借りて観ていた。
特にランキング番組は並大抵の珍しさではなかった。アメリカではそういう番組がなかったからだ。僕はビデオを観ながら漠然とではあったが「僕もああなれたら…」と思うようになった。

高校に入ると僕の性格は内向的に変わり始めた。歳をとるにつれて子供の時のように悪さをすることはなくなった。友達と会っても僕は静かにいるようになった。
その頃から伝統R&Bやヒップホップ音楽を好んで聴くようになった。その頃僕が好きだった歌手がBaby FaceやBoys UMen、Usher、ドルーヒルなどだった。学校では音楽が好きな友達だけで集まって音楽を聴いたりした。
その頃だったと思う。Teddyが現れた。ニューヨークから転校して来たのだが、初めて会った時から何か特異な感じがした。まず服から変わっていた。自分ではヒップホップスタイルだと言い張っていたが、僕が見る限りでは単にひどく大きなズボンだった。靴が見えない程大きかった。
「変な奴だ」くらいにしか考えていなかったのだが、お互いに話をするうちに音楽的に通ずるものを感じられた。そうしていつも一緒にいるようになって、音楽を通して同士になった。
たまにやるカラオケボックスでの自分達の実力の確認も欠かさなかった。歌を実際に作ったりしながら、何を置いても音楽にと、ずっぷりと一緒にはまっていった。

一度友達がオーディションを受けに行くということで一緒に付いて行ったことがあった。単に付いていっただけだった。友達がオーディションを受けているのを遠くで見守っていた。Teddyも僕も全く準備をしないでいたからだ。それでも歌手になると大口を叩いていたので、知り合いの先輩が作曲家の人を紹介してくれることになった。実際に会うまでには少しかかったが、会ってみるとTeddyの本当に家の近くに住んでいる人だった。その後僕達はその先輩の家に篭って更に音楽に没頭するようになった。
その先輩はヒョンソク(ヤン・ヒョンソク)兄さんと知り合いだったのだが、偶然(その先輩がヒョンソク兄さんと)電話をしている時に僕達の歌が入っているテープを(ヒョンソク兄さんが)聞いて、僕達がオーディションを受けることになった。オーディションに合格した後、1ヶ月もしないうちに荷造りをして、韓国に来て今の1TYMになった。

いつデビューするかの規約もないままずっとひたすら練習して、やっと舞台に立てるという話があっても結局延期になってしまったという事は1度や2度じゃなかった。その度にぐったりと気が抜けてしまったが、その結果少しでもよい状態でファンの前に姿を見せる事ができてよかったと思う。

アメリカで暮らしている時にも家があるロスアンジェルスを出たことはほとんどなかった僕が遥か遠い異国の地、韓国にいるのでたまに家族に会いたくなったり友達が恋しい時もある。
だけどファン達の声援があるから楽しく暮らすことができる。僕は舞台に立つ時が一番楽しい。舞台に立つと何も見えず、ダンスと歌だけに熱中できるのだ。こんな機会をくれた全ての人に感謝したい。これからも最善をつくすつもりだ。


TOP 1 2 3 4 5